今日から平常勤務ですが、この暑さには閉口。出社するだけで疲れてしまう。(哲




2007ソスN8ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1682007

 忘れいし晩夏は納屋のかたちせり

                           津沢マサ子

れていた晩夏は納屋のかたちをしている。単純に意味を追えばそうなる。納屋といっても狭い住居に暮らす都会では想像しにくい場所になってしまった。農機具や役に立たなくなった生活用品を保管する納屋は、日常から隔たった薄暗い場所。おとなは用のあるときにしか立ち入らないが、子供にとっては絶好の隠れ家だった。親に見つからないよう身を潜めて流行おくれの帽子をかぶってみたり、いけない本を盗み見たり、ほこりだらけの鞄の底を探ったりした。閉め切った納屋の空気はむんむんして、扉の隙間から細く射す金色の光に細かな埃が浮いているのを不思議な気持ちで眺めた。永遠に続くように思われた夏休みももうすぐ終わってしまう。納屋で過ごしたひとりの時間がこの句を読んで蘇ってきた。あの夏の一日もガラクタのように納屋へ放り込まれてしまったのだろうか。納屋は過ぎ去った日々を過ごした懐かしい場所であるが、その記憶もいつしか曖昧になって納屋そのものになってしまうのかもしれない。その中に入ろうとしてももはや子供の私へ立ち戻ることは出来ない。「納戸より見ゆるむかしの夏の色」と岡本高明の句もある。遠い夏の日々は納屋や納戸にこそ息づいているのだろう。『風のトルソー』(1995)所載。(三宅やよい)


August 1582007

 敗戦の日の夏の皿いまも清し

                           三橋敏雄

日八月十五日は「敗戦の日」。あれは「終戦(戦いの終わり)」などではなかった。昭和二十年のこの日がどういう日であるか、知らない若者が今や少なくない。若者どころか、十年近く前に、この日を知らない七十歳に近い女性に会って仰天したことがある。「八月六日」や「八月九日」を知らないニッポン人は、さらに全国で増えている。敗戦の日の暑さや空の青さについては、あちこちで語られたり書かれたりしてきたが、ここで敏雄の前には一枚の皿が置かれている。おそらくからっぽの白っぽい皿にちがいない。それは自分の心のからっぽでもあったと思われる。皿はせつないほどに空白のまま、しかも割れることなく消えることなく、いつまでも自分のなかに存在しつづけている。皿は時を刻まず、新たにごちそうを盛ることもない。悲しいまでに濁りなく清々しい。「清し」には「潔(いさぎよ)い」という意味もある。万事に潔くないことが堂々とまかり通っている昨今を思う。「清し」という言葉には、八月十五日の敏雄の万感がこめられていただろう。敏雄は句集『まぼろしの鱶』(1966)の後記にこう書いている、「敗戦を境に、世の新たな混乱はまた煩憂を深くさせた」と。「いまも清し」という結句をその言葉に重ねてみたい思いに駆られる。この国/私たちは現在、この「皿」に見掛け倒しの濁った怪しげなものをあからさまに盛りつけようとしてはいないか? 冗談ではなくて、私には「皿」の文字が「血」にも見えたりする。掲出句とならんで、よく知られている句「手をあげて此世の友は来りけり」も収められている。『巡禮』(1979)所収。(八木忠栄)


August 1482007

 白蝶に白蝶が寄り盆の道

                           福井隆子

の行事は、先祖を敬うという愛情を芯にしながらも、地方によってその表現方法はさまざまである。数年前、沖縄県石垣島で伝統的な「アンガマ」を目の当たりにすることができた。旧盆の三日間、あの世からこの世へ精霊たちが賑やかに来訪し、きわめて楽し気にあちらの生活を語ってまわるという、いかにも南国らしい行事である。先頭の若者は、ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)の面を付け、昔ながらの島言葉を操り、踊り歌いながら新盆を迎えた家々を訪問する。輝く月に照らされ、使者たちの行列は家から家へ、黒々とした健やかな影を引きながら未明まで続く。考えてみれば、お盆にこの世を訪問する死者とは、明るい浄土を成し得た幸せな者たちである。個々の悲しみはさておき、空中に浮遊する明るい魂に囲まれている楽しさに、思わず長い行列の最後尾に加わり、満天の星の下を歩いていた。掲句の白蝶は、ふと眼にした景色を写し取りながら、美しい死者の魂のようにも見せている。触れ合えばまた数を増やし、現世を舞ってゆく。句中に据えられた「寄り」の文字が「寄り代」を彷彿させ、あの華奢な昆虫を一層神々しく昇華させている。『つぎつぎと』(2004)所収。(土肥あき子)




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