ああ、とにかく今週は疲れました。暑さもこれで退いてくれればよいのですが。(哲




2007ソスN8ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1882007

 かなかなに水面のごとき空のあり

                           山下しげ人

なかな、蜩、日暮し。蝉は夏季だが、蜩は法師蝉と並んで秋季。先日、立秋間近の六甲山で吟行句会があり、この句は八月四日の第一句会での一句である。六甲山は初めてだったが、さすがに涼しく、朝な夕な、熊蝉に混ざってかなかなが鳴き続けていた。かつて住んでいた箱根に近い町では、暮れつつある山から、かなかなの声が夕風に乗って流れてきたものだったが、現在の東京での日常生活では、めぐり合うことはほとんどない。そんな、油蝉とにいにい蝉に時々みんみんが混ざる下界の蝉の声に慣れた耳に、高原の蝉の声は、鮮やかに透きとおって響いた。かなかなの調べは、もとよりどこか郷愁を誘うものだが、ずっと聞いていると、まるで森を濡らしているように思えてくる。この句の、かなかなに、という表現には、かなかなの声もまた水の流れのようである、という心持ちがこめられているのかもしれない。かなかなの声に誘われるように見上げる空には、秋の気配が流れていた。(今井肖子)


August 1782007

 膝抱けば錨のかたち枇杷熟れる

                           坪内稔典

、海軍、滅亡、沈没、死者、敗戦、夏・・・というふうに日本人の連想は続く。夏と敗戦のつながりは決定的で、夾竹桃や百日紅からもすぐ敗戦を連想する人さえいる。そういう日本人がいなくなる未来はどのくらい経ったらやってくるのだろう。テレビの街頭インタビューで日本がアメリカと戦ったということすら知らない若者が何人もいたが、これはにわかには信じがたい。日本人の大学進学率は確か七十パーセントを超える。第二次大戦は言わずもがな、ポツダム宣言あたりを知らなければ大学はおろか、有名私立中学にも受からない。あのテレビはやらせだ。この句は日本人の苦い連想の上に立っている。「膝抱けば」は死者の姿勢。沈んでいる遺骨への思い。同じ句集の中の「赤錆のわたしは錨草茂る」も同様の内容。この句では、陸の上にある見えている錨が描かれる。わたし即ち錨という発想だが、草茂るもあるし、わたし、日本人、戦争、夏、というイメージからは離れられない。作者もその効果を承知で構成している。錨即ち海軍。どうも帝国海軍は知的であったのに帝国陸軍が横暴で敗戦必定の戦争に持ち込んだという論議が一般的だ。ほんとにそうかなあ。海軍もめちゃくちゃな作戦で多くの海戦をやったように思える。今から見れば。『月光の音』(2001)所収。(今井 聖)


August 1682007

 忘れいし晩夏は納屋のかたちせり

                           津沢マサ子

れていた晩夏は納屋のかたちをしている。単純に意味を追えばそうなる。納屋といっても狭い住居に暮らす都会では想像しにくい場所になってしまった。農機具や役に立たなくなった生活用品を保管する納屋は、日常から隔たった薄暗い場所。おとなは用のあるときにしか立ち入らないが、子供にとっては絶好の隠れ家だった。親に見つからないよう身を潜めて流行おくれの帽子をかぶってみたり、いけない本を盗み見たり、ほこりだらけの鞄の底を探ったりした。閉め切った納屋の空気はむんむんして、扉の隙間から細く射す金色の光に細かな埃が浮いているのを不思議な気持ちで眺めた。永遠に続くように思われた夏休みももうすぐ終わってしまう。納屋で過ごしたひとりの時間がこの句を読んで蘇ってきた。あの夏の一日もガラクタのように納屋へ放り込まれてしまったのだろうか。納屋は過ぎ去った日々を過ごした懐かしい場所であるが、その記憶もいつしか曖昧になって納屋そのものになってしまうのかもしれない。その中に入ろうとしてももはや子供の私へ立ち戻ることは出来ない。「納戸より見ゆるむかしの夏の色」と岡本高明の句もある。遠い夏の日々は納屋や納戸にこそ息づいているのだろう。『風のトルソー』(1995)所載。(三宅やよい)




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