August 192007
八月をとどめるものとして画鋲
篠原俊博
昔から小学校の近くには、かならず小さな文房具屋があったものです。売っているのはもちろん勉強に使う物たち。鉛筆であり、消しゴムであり、帳面であり、画用紙であるわけです。小さな間口から急いで走りこみ、始業時刻に間に合うようにあわてて必要なものを買って走り出した日を思い出します。いつの頃からか、文房具はおしゃれな小物になり、時に気どった英語で呼ばれるようになり、派手な絵や柄が付くようになりました。掲句で扱われている「画鋲(がびょう)」という言葉は、濁音の多い音そのままに、今でも時代に取り残されたように使われています。けれど姿だけは、平らで金属そのままの愛想のないものから、最近は色の鮮やかなものが売られるようになりました。この句を読んですぐに思い浮かべたのは、壁にかかったカレンダーです。高層マンションの一室でしょうか。窓が大きく開けられ、さわやかな風が吹き込んでいます。風に揺れる海の絵を見つめる目は、窓の向こうの本物の海をも視野に入れているのかもしれません。12の月を綴じた暦の、もっとも明るく、外へこぼれだしそうなのが「八月」です。画鋲はここで、カレンダーを壁に留めているだけではないようです。八月にあった大切な出来事を、作者の「記憶」にしっかりと留める役割をも果たしています。指に力を込めて、決して忘れないように。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
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