August 212007
かなかなのかなをかなしく鳴きをはる
加藤洋子
小泉八雲は『蝉(シカダ)』のなかで、「ヒグラシ或はカナカナ」として「日を暗くす、といふ意味の名を有つた此蝉は(中略)いかにも上等な呼鈴を極早く振る音に酷似して居る」と記す。夏の暑さを増幅させるようなアブラゼミやミンミンゼミたちの一斉合唱にひきかえ、カナカナは一匹ずつがバトンを渡すように交替で鳴き、真昼の蝉の声とはまったく異なる印象を持つ。それは徐々にかき消されていくような、輪唱のおしまいの心細さを感じさせ、夏の終わりをセンチメンタルに演出する。俳句では感情を直接表現せず、モノに語らせることが大切といわれるが、掲句の「かなしく」は感情であると同時に、「カナカナ」の「カナ」は「かなしみ」の「かな」でもあるという作者の発見を、つつましく提示したものでもある。また、句中に響く4つの「かな」の間が、だんだんと消え入るようなバランスで配置されている音の美しさも絶妙である。百人一首の「これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふ坂の関」で知られる蝉丸は多くの伝承を持つ人物だが、方丈記では「蝉歌の翁」として紹介されている。「蝉歌」がいかなるものか、現在ではまったく残っていないといわれるが、きっとカナカナの声を思わせる哀しみを伴った美しい楽曲だったことだろう。『白魚』(2006)所収。(土肥あき子)
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