少子化担当相・上川陽子。この人も知らないけど、何をする大臣かもわからん。(哲




2007ソスN8ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2882007

 秋天に東京タワーといふ背骨

                           大高 翔

拗な残暑が続く毎日だが、東京の空にもようやく秋らしさが見られるようになった。東京タワーは昭和33年に完成した東京都港区に立つ333mの電波塔である。この高さは「どうせつくるなら世界一を…。エッフェル塔(320m)をしのぐものでなければ意味がない」(by東京タワーHP)という、戦後から復興し、世界を視野に見据え始めた東京の夢を叶えたものであったという。赤と白のツートンカラーは五年に一度という周期で塗り替えられているが、今年がちょうどその時期にあたり、4月から深夜作業が始まっている。足場を組まれ、小さなゴンドラをいくつも下げた東京タワーは、まるで背中を流してもらっているガリバーのようにも見え、一段と掲句を納得させる図でもある。来年から工事が始まるという墨田区押上の新東京タワーはデザイン画では輝く銀色をしており、610mの全長は世界一の高さになるのだそうだ。しかし、850万の人間が密集し、さまざまな生活が集中している東京の空には、無機質なメタリックタワーより、人間の体温を感じられる紅白のタワーが似合う。今夜は皆既月食。東京タワーを背景に月蝕を眺めるなんていうのも素敵だ。〈春雪や産み月の身のうすくれなゐ〉〈「はいどうぞ」しろつめくさといしころと〉『キリトリセン』(2007)所収。(土肥あき子)


August 2782007

 何の包みか母の外出曼珠沙華

                           窪川寿子

とさらに「母の外出」と書くくらいだから、彼女はめったに外出しないのだろう。もはや相当な高齢の故なのかもしれない。その母が珍しく外出することになり、しかも大きな風呂敷「包み」を手にしている。普段であれば「お母さん、それなあに」くらいのことは、気の置けない母娘なのだし気軽に聞いてしまうはずなのだが、このときに限っては聞くのがなんとなく憚られた。家族同士ではあっても、相手の常ならぬ気配を察して、こういうことはまま起きるものだ。むろん、母親の外出先も聞けなかったはずである。そうはいっても、そんなに深刻に母親のことを心配しているわけでもない。包みの中身がちょっと気掛かりなために、作者は母を見送る姿勢のまま、何だろうなあとぼんやり心当たりを考えている。気がつけば、その母が遠ざかっていく道のあちこちには、いつの間にか「曼珠沙華」がぽつりぽつりと咲いているのであった。暑い暑いと言っている間に、もう自然は秋の装いを整えはじめていたのだ。作者はここでふっと普段通りの自分に立ち戻り、さながら人生の秋を行くような母の小さな後ろ姿に「気をつけてね」と微笑したのだったろう。小さな詩型が書かしめた小さなドラマだ。『甲斐恋』(2007)所収。(清水哲男)


August 2682007

 くちばしがふと欲しくなり秋日和

                           皆吉 司

や多くの家が犬や猫を飼うペットブームですが、私が子供の頃には、家で飼っている生き物といえば、せいぜい金魚や小鳥でした。もちろん、それほどに心を通わせることはなく、生活する場の風景のようにして、そちらはそちらで勝手に生きているように思っていました。それでも、からの餌箱をつつくすがたに驚き、あわてて餌を買いに行ったことがありました。その必死な動作に、道すがら、申し訳なく感じたことを憶えています。くちばしを持つ動物はいろいろありますが、掲句を読んで思ったのは、当時飼っていた小鳥のことでした。止まり木の上で、薄いまぶたをじっと閉じている姿を見るのが好きでした。あるいは、首を、あごの中に差し込むようにして折り曲げる小さな姿にも、惹かれていました。人という動物は、言うまでもなくやわらかい口を持っています。どんな言葉も発することができ、どのような食物も取り込むことのできる、便利な形をしています。作者はなぜか、そんな口に違和感を持ったようです。ふと、堅い部位を顔の中央に突出させたくなったのでしょうか。しかしこの願望は、それほどに深刻なものではなく、穏やかな秋日和に、のんびりと見つめていた小鳥の姿から、思いついただけなのかもしれません。それでも、人が鋭いくちばしを持った姿は、ひどく悲しげに見えるのではないかと、思うのですが。『現代の俳句』(2005・角川書店)所載。(松下育男)




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