松浪文科副大臣「相撲協会は伝統文化を言う資格ない」。かまびすしい世の中よ。(哲




2007ソスN8ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3082007

 みなでかぐへくそかづらのへのにほひ

                           松本秀一

くそかずらは漢字で書くと「屁糞蔓」。写真を見ると中心に濃い紅色を置いた白い可憐な花なのに、どうしてこんな身も蓋もない名前をつけられてしまったのだろう。枝や葉に匂いがあるらしいけど、そんなに臭いのだろうか。まだ嗅いだことのない私にはわからないけど、この名をみると確かめてみたくなる。俳人はちょっと変わった植物が好みの人が多い。イヌフグリ同様、へくそかずらにもファンが多いことだろう。分類では晩夏になっているが、9月ごろまでその姿を見ることができるようだ。「これ、へくそかずらだよ」「へぇーこれがね」吟行へ出かけても一人は植物の名や鳥の名前に詳しい人がいる。そんな仲間に教えられみんなで頭を寄せ合ってへくそかずらをふんふん鼻をならして嗅いでいるのだろう。子供達が膝を折って輪になって座り「臭いね、ほんとに臭いね」と花を回して確かめ合っている様子なども想像されて楽しい。ひらがなに揃えた旧仮名の表記がへのへのもへじのようで、ユーモラスだし「へのにほひ」とずばり切り込みながらも下品にならず、牧歌的な情景とともにしっかりと記憶に残る。もし「へくそかずら」と出会う機会があるなら、この句を思い出しながら匂いを嗅いでみたい。『早苗の空』(2006)所収。(三宅やよい)


August 2982007

 鬼灯のひとつは銀河の端で鳴る

                           高岡 修

年の浅草のほおずき市では千成ほおずきが目立った。あれは子どもの頃によく食べたっけ。浅草で2500円で買い求めた一鉢の鬼灯が、赤い袋・緑の袋をつけて楽しませてくれたが、もう終わりである。子どもの頃、男の子も入念に袋からタネを取り出してから、ギューギュー鳴らしたものだったけれど、惜しいところでやたらに袋が破れた。鳴らすことよりも、あわてず入念になかのタネをうまく取り出すことのほうに一所懸命だったし、その作業こそスリリングだった。今も見よう見まね、自分でタネを取り出して鬼灯を鳴らす子がいることはいるのだろう。掲出句を収めた句集には、死を直接詠ったものや死のイメージの濃厚な句が多い。「父焼けば死は愛恋の火にほてる」「死螢が群れ天辺を明かくする」など。女性か子どもであろうか、心ならずも身まかってのち、この世で鳴らしたかった鬼灯を、銀河の端にとどまり銀河にすがるように少々寂しげに鳴らしている――そんなふうに読みとってみると、あたりはシンとして鮮やかに目に映る銀河の端っこで、鬼灯がかすかに鳴っているのが聞こえてくるようだ。その音が銀河をいっそう鮮やかに見せ、鬼灯の鳴る音を確かなものにし、あたりはいっそうシンと静まりかえったように感じられてくる。ここでは「ひとつ」だけが鳴っているのであり、他のいくつかは天辺の果てで鳴っているのかもしれないし、地上のどこかで鳴っているのかもしれない。儚い秋の一夜である。高岡修は詩人でもある。第二句集『蝶の髪』(2006)所収。(八木忠栄)


August 2882007

 秋天に東京タワーといふ背骨

                           大高 翔

拗な残暑が続く毎日だが、東京の空にもようやく秋らしさが見られるようになった。東京タワーは昭和33年に完成した東京都港区に立つ333mの電波塔である。この高さは「どうせつくるなら世界一を…。エッフェル塔(320m)をしのぐものでなければ意味がない」(by東京タワーHP)という、戦後から復興し、世界を視野に見据え始めた東京の夢を叶えたものであったという。赤と白のツートンカラーは五年に一度という周期で塗り替えられているが、今年がちょうどその時期にあたり、4月から深夜作業が始まっている。足場を組まれ、小さなゴンドラをいくつも下げた東京タワーは、まるで背中を流してもらっているガリバーのようにも見え、一段と掲句を納得させる図でもある。来年から工事が始まるという墨田区押上の新東京タワーはデザイン画では輝く銀色をしており、610mの全長は世界一の高さになるのだそうだ。しかし、850万の人間が密集し、さまざまな生活が集中している東京の空には、無機質なメタリックタワーより、人間の体温を感じられる紅白のタワーが似合う。今夜は皆既月食。東京タワーを背景に月蝕を眺めるなんていうのも素敵だ。〈春雪や産み月の身のうすくれなゐ〉〈「はいどうぞ」しろつめくさといしころと〉『キリトリセン』(2007)所収。(土肥あき子)




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