明日から二学期。子供の頃はやり残した宿題の山で前日が大変だった。今の子は? (哲




2007ソスN9ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0292007

 縄とびの縄を抜ければ九月の町

                           大西泰世

年の夏の暑さは尋常ではありませんでした。昔は普通の家にクーラーなどなかったし、わたしが子供の頃もたしかに暑くはありました。しかしそのころの夏は、どこか、見当の付く暑さでした。今年の、39度とか40度とかは、どう考えても日本の暑さとは思えません。そんな記録尽くめの夏も、時が経てば当然のことながら過ぎ去ってゆきます。掲句、こんなふうに出会う9月もよいかなと、思います。遠くに、縄跳びをしている子供たちの姿が見えます。夕方でしょうか。縄を持つ子供が両側に立って、大きく腕をまわしています。一人、一人と順番に、その縄に飛び込んでは、向こう側へ抜けてゆく、その先はもう9月をしっかりと受け止めた町なのです。縄跳びの縄が、新しい季節の入り口のように感じられます。飛び上がる空の高さと、9月という時の推移の、両方を感じさせる気持ちのよい句です。陽が沈むのが日に日に早くなり、あたりも暗くなり始めました。今日の遊びもおしまいと、誰かが言い、縄跳びの縄は小さく丸められます。帰ってゆく子供たちのむかう家は、もちろんあたらしい季節の、中にあるのです。『現代の俳句』(2005・角川書店)所載。(松下育男)


September 0192007

 焼跡にまた住みふりて震災忌

                           中村辰之丞

正十二年九月一日の未明、東京にはかなりの風雨があったという。そして夜が明けて雨はあがり、秋めく風がふく正午近く、直下型大地震が関東地方を襲ったのだった。その風が、東京だけで十万人を越える死者を数える悲劇を生む要因となった大火災に拍車をかけることになるとは、思いもよらなかったにちがいない。作者が歌舞伎役者であることを思えば、代々生まれも育ちも東京だろう。焼跡に、とあるので、旧家は焼失したのかもしれない。年に一度巡り来る震災忌、その惨状が昨日のことのようによみがえってくる。そして、失われた風景や人々を思う時、流れた月日の果てに今ここに自分が生きているということを複雑な思いでかみしめているのだ。また、の一語が、作者の感慨を伝え、さまざまな感情や年月をふくらませる。その後、再び東京が焼け野原になる日が来ることもまた、思いもよらなかったであろう。関東大震災から八十年以上、どんどん深くなる新しい地下鉄、加速する硝子の高層ビルの建設ラッシュの東京で、今日一日はあちこちで防災訓練が行われる。ずっと訓練だけですめば幸いなのだが。「俳句歳時記」(1957・角川書店発行)所載。(今井肖子)


August 3182007

 その母もかく打たれけり天瓜粉

                           仲 寒蝉

ん坊が素裸で天瓜粉を全身に打たれている。泣いているか、笑っているか。いい風景だ。赤ん坊よ、お前に粉を打っている母もお前のような頃があって、そうやって裸の手足を震わせたのだ。時間の長さの中を、現実と過去とが交錯する。一人の赤ん坊の姿に多重刷りのように時間を超えて何人もの「赤ん坊」が重なる。たったひとりの笑顔に無数の「母」の顔が浮かびあがる。村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」。齊藤美規の「百年後の見知らぬ男わが田打つ」も同様。鬼城は百姓という存在の無名性を詠い、美規は「血」というものの不思議から「自分」の不思議へと思いを深める。三句とも「永遠」がテーマである。ところで、或る句会で、「汗しらず」と下五に置かれた俳句があった。汗を知らないという意味にとったら、これはひとつの名詞。天瓜粉のことであった。歳時記にも出ているので、俳人なら知っておくべきだったと反省したが、「天瓜粉」でさえ、僕らの世代でも死語に近いのに、「汗しらず」なんて使うのはどんなもんだろう。まあ、そんなことを言えば、「浮いて来い」だの「水からくり」なんかどうだ。「現在ただ今」の自分や状況を詠もうとする俳人にはとても使えない趣味的な季題である。『海市郵便』(2004)所収。(今井 聖)




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