「俳句界」10月号ホトトギス特集の校了間近。世に誤植の種はつきまじ……。(哲




2007ソスN9ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1092007

 秋草の押し花遺りて妻の忌や

                           伊藤信吉

者は詩人として著名だった。父親(美太郎)が俳句を趣味としていたので、作句はその遠い影響だろうか。あるいは師であった萩原朔太郎や室生犀星の影響かもしれない。亡くなる前年には、地元(群馬県)の俳誌「鬣TATEGAMI」にも同人参加している。信吉はこの頃になって弟の秀久と相談し、父親と息子二人の合同句集の発刊を計画したのだったが、制作半ばで他界した。九十五歳(2002年8月3日)。掲句は妻を亡くして、だいぶ経ってからの作だろう。いわゆる遺品などはすっかり片づけられており、妻を偲ぶよすがになる具体物はないはずだったのだが、ある日古い本のページの間からだろうか、ひょっこり故人の作った「押し花」が出てきた。こういうものは、遺品のたぐいとは違って、なかなかに整理しづらい。立派に故人の制作物だからである。以後、作者は大切に保管し、妻の命日がめぐってくるたびに飽かず眺め入ったのだろう。上手な句とは言えないけれど、第三者から見れば何の変哲もない一葉の押し花に見入る老人の姿に、名状し難い切なさを感じる。あえて下五に置かれた「妻の忌や」の「や」に万感の情がこめられている。伊藤秀久編『三人句集』(2003・私家版)所載。(清水哲男)


September 0992007

 颱風へ固めし家に児のピアノ

                           松本 進

摩川のほとり、大田区の西六郷に住んでいた頃、台風が来るというと、父親は釘と板を持って家を外から打ち付けたものでした。ある年、ちょうど家の改築をしている時に大きな台風がやってきて、強い風に家が揺れ、蒲団の中で一晩中恐い思いをしたことがあります。掲句の家庭にとっては、まだそれほど状況は差し迫ってはいないようです。台風に備えて準備を終えた家の中で、子供が平然とピアノを弾いています。狭い日本家屋の、畳の一室にどんと置かれているピアノが目に浮かぶようです。この日は台風の襲来を前に、窓を閉め、更に雨戸を閉め、外部への隙間という隙間を埋めたわけです。完璧に外の物音を遮断した中で、ピアノの音が逃げ場もなく、部屋の内壁に響き渡っています。流麗にショパンでも弾いてくれるのならともかく、ミスタッチを繰り返すバイエルをえんえんと聴かされるのは、家族とはいえ忍耐が要ります。それでも、数日後にレッスンが予定されているのなら、台風が来ていようと、子供にとってその日の練習は欠かせません。ピアノのおさらいという「日常」に、時を選ばず襲ってくる「日常の外」としての颱風。その対比が句を、奥深いものにさせています。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


September 0892007

 露しぐれ捕はれ易き朝の耳

                           湯川 雅

は一年中結ぶものだが、夜、急に冷え込む秋の初めに多く見られることから秋季。露しぐれ、とは、夜のうちに木々に宿った露が、朝になってしたたり落ちるのをいう。晩夏から初秋にかけて、花野に色が増える頃、高原などではことさら朝露が匂う。早朝、ゆっくり息を吸って、瑞々しい大気を体中に行き渡らせると、まず五感がくっきりと目覚めてくる。そして、おもむろに息を吐く。すると、かすかな朝の虫、鳥の声、風音と共に、ぱらぱらとしたたり落ちる露の音が耳に届いてくる。細やかで透明な秋の音。露しぐれは、これだけで情景を言いおおせてしまう感のある言葉であり、ともすれば情に流されやすく、一句にするとその説明に終わってしまう可能性もある。また、澄んだ朝の空気の中では音がよく聞こえる、というのも誰もが感じることだ。この句の場合、捕はれ易き朝の耳、という少し理の克った、耳を主とした表現が、露しぐれの音と呼応しつつ、常套的な説明からふっとそれたおもしろさを感じさせる。俳誌「ホトトギス」(2002年3月号)所載。(今井肖子)




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