@e句

September 1292007

 東京の寄席の灯遠き夜長かな

                           正岡 容

句に「ふるさと」のルビが振ってある。正岡容(いるる)は神田の生まれ。よく知られた寄席芸能研究家であり、作家でもあった。小説に『寄席』『円朝』などがあり、落語の台本も書いた。神田っ子にとっては、なるほど東京はふるさと。しかも旅回りではなく、空襲をよけて今は遠い土地(角館)に来ている。秋の夜長、東京の灯がこよなく恋しくてならない。東京生まれの人間にとって、この恋慕は共感できるものであろう。まして「ふるさと」と呼べるような東京が、まだ息づいていた昭和二十年のことである。敗戦に近く、東京では空襲が激化していた。容は四月、五月の空襲により、羽後の山村に四ヵ月ほど起臥した。さらにその後、角館へ寄席芸術に関する講演に赴いた折、求められて掲出句を即吟で詠んだ。そういう背景を念頭において読むと、「寄席の灯」の見え方もしみじみとして映し出される。人々はせめてひとときの笑いと安息を求めて、その灯のもとに肩寄せあっているはずであり、容にはその光景がくっきりと見えている。もちろん同時期に、「寄席の灯」どころではなく、血みどろになって敗戦末期の戦地を敗走し、あるいは斃れていった東京っ子、空襲の犠牲になった東京っ子も数多くいたわけである。容は句の後に「わが郷愁は、こゝに極まり、きはまつてゐたのである・・・・」と書き付けている。深川で詠んだ「春愁の町尽くるとこ講釈場」「君が家も窓も手摺も朧かな」などの句もある。『東京恋慕帳』(1948)所収。(八木忠栄)




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