荳ュ逕ー縺ソ縺・縺サ縺ョ句

September 2892007

 籾殻より下駄堀り出してはき行きし

                           中田みづほ

秋の農家の風景。「写生」は瞬間のカットにその最たる特性をみるが、この句のような映像的シーンの中での時間の流れも器に適合したポエジーを提供する。掘って、出して、履いて、歩いていく。一連の動作の運びが、この句を読むたびに再生された動画のように読者の前に繰り返される。生きている時間が蘇る。同様の角度は、高野素十の「づかづかと来て踊子にささやける」や「歩み来し人麦踏をはじめけり」も同じ。みづほと素十が同じ東大医局勤務だったことを考え合わせるとこの符合は興味深い。僕らが日常的に目にしていながら、「感動」として記憶に定着しないひとこま、つまりは目にしていても「見て」いない風景を拾い出すことが、自己の「生」を実感することにつながる。そこに子規が見出した「写生」の本質があると僕自身は思っている。見たものを写すという方法を嗤う俳人たちがいる。無限の想像力で、言葉の自律性を駆使して創作すればいいのだと。ならば聞こう、それらを用いて、籾殻の中から下駄を掘り出すリアリティに匹敵できるか。そこに俳句における「写生」理念の恐ろしいほどの強靭さがある。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)




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