全国約四千七百局のうち、千局余りで集配業務が廃止に.郵便は当然遅くなるぞ。(哲




2007ソスN10ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 02102007

 新涼や三回試着して買はず

                           田口茉於

々続いた凶暴な残暑にもどうやら終わりがきたようだ。先月からはやばやと秋の装いのニットやブーツを身につけていたショーウィンドーのマネキンも、ようやく落ち着いて眺めることができるようになった。しかしまだ更衣をしていないこの時期に、新しい洋服の購入はとても危険なのである。また同じようなものを買ってしまったという後悔や、手持ちのどの洋服とも合わないという失敗を毎年繰り返しているにも関わらず、ついつい真新しいファッションを手にしたくなるのが女心というものだ。手を出しかねていたレギンスから、世間は一転してカラータイツになっているようだけれど、これもきっと取り入れずに終わるだろう。それにしても掲句の作者はずいぶん用心深く、わたしが懲りずに度々犯す「衝動買い」という愚かな過ちを上手に回避しているようだ。今年は掲句を繰り返しながら街を歩くことにしようかと思う。〈携帯でつながつてゐる春夕べ〉〈私から届く荷物や金木犀〉『はじまりの音』(2006)所収。(土肥あき子)


October 01102007

 秋灯目だけであくびしてをりぬ

                           田中久美子

わず、笑わされてしまった。ありますねえ、こういうことって……。この句の主体は作者だろうか、それとも他者だろうか。どちらでも良いとは思うけれど、後者のほうがより印象的になる。他者といっても、もちろん家族ではないだろう。多少とも、他人に気を使わなければならない場所での目撃句だ。たとえば会社での残業だとか、夜の集会だとか、そういったシチュエーションが考えられる。懸命に眠さをこらえている様子の人がいて、気になってそれとなく見やると、欠伸の出そうな口元のあたりをとんとんと軽く叩きながらも、しかし「目」は完全に欠伸をしてしまっていると言うのである。涼しい秋の夜の燈火は、人の目を冴えさせるというイメージが濃いのだが、それだけに、逆にこの句は説得力を持つ。「秋灯(あきともし)」といういささかとり澄ましたような季語に、遠慮なく眠さを持ってきた作者の感性は鋭くもユニークだ。かつて自由詩を書いていた田中久美子が、このような佳句をいくつも引っさげて戻ってきたことを、素直に喜びたい。そのいくつか。〈夢ばかり見てゐる初夢もなく〉〈一筆のピカソ一生涯の蜷〉〈太テエ女ト言ハレタ書イタ一葉忌〉『風を迎へに』(2007)所収。(清水哲男)


September 3092007

 口中へ涙こつんと冷やかに

                           秋元不死男

語は「冷やか」です。秋、物に触れたときなどの冷たさをあらわしています。しかし、この句が詠んでいるのはどうも、秋の冷やかさというよりも、個人的な出来事のように感じられます。なにがあったのかはわかりませんが、目じりから流れ出た涙が、頬を伝い、口へ入ってゆくことに不思議はありません。しかし、口をわざわざ「口中」と言っているところを見ると、かなりの量の涙が口の中へ落ちていったようです。それにしても、「こつん」という擬声語がここに出てくることには、ちょっと驚きます。そもそもこの「こつん」という語は、かたい物が当たってたてる音です。作者はそれを知って使っているわけですから、作品への思いいれは、この語に集中していると言えます。涙をかたいものとして感じる瞬間、というのはどのような場合なのでしょうか。涙さえかたいものとして感じるほどに、頬も、口の中も、敏感になっているということなのでしょうか。もしそうならば、あながち「冷やかに」が季節と無縁とは言い切れません。自身の存在を、季節の移ろいのようにやるせなく感じる時、湧き出た涙はその人にとって、かたく感じるものなのかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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