誰も時津風をかばわなかった。殺人にからんだから?。いや、我が身大事からさ。(哲




2007ソスN10ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 06102007

 歩きつづける彼岸花咲きつづける

                           種田山頭火

月の終わりに、久しぶりに一面の彼岸花に遭遇、秋彼岸を実感する風景だった。すさまじいまでに咲き広がるその花は、曼珠沙華というより彼岸花であり、死人花、幽霊花、狐花などの名で呼ばれるのもわかる、と思わせる朱であった。かつて小学校の教科書に載っていた、新美南吉の『ごんぎつね』に、赤いきれのように咲いている彼岸花を、白装束の葬式の列が踏み踏み歩いていく、という件があったが、切ないそのストーリーと共に、葬列が去った後の踏みしだかれた朱の印象が強く残っている。この句の場合も、彼岸花が群生している中を、ひたすら歩いているのだろう。リフレインも含めて、自然で無理のない調べを持つ句。その朱が鮮やかであればあるほど寂しさの増していく野原であり、山頭火の心である。「種田山頭火」(村上護著)には、「いわゆる地獄極楽の揺れの中で句作がなされた」(本文より)とあり、〈まつすぐな道でさみしい〉と掲句が並んでいる。思いつめた心とはうらはらに、こぼれ出る句は優しさも感じさせる。定型に依存することのない定型句、自由律であるというだけでない自由律句、どちらも簡単にはいかないなあ、と思うこの頃。『種田山頭火』(2006・ミネルバ書房)所載。(今井肖子)


October 05102007

 蓑虫や滅びのひかり草に木に

                           西島麦南

びとはこの句の場合、枯れのこと。カメラの眼は蓑虫に限りなく接近したあと、ぐんぐんと引いていき秋の野山を映し出す。テーマは蓑虫ではなく、「滅びのひかり」である。もうすぐ冬が来る気配がひかりの強さに感じられる。鳥取県米子市に住んだときはかなりの僻地で、家の前が自衛隊の演習地。広い広い枯野で匍匐前進や火炎放射器の演習をやっていた。他の人家とは離れていたので、夜は飼犬を放した。夜遊び回った果てに戻ってきた犬が池で水を飲む音がする。子規の「犬が来て水飲む音の寒さかな」を読んで、ああこれだななんて思ったものだ。「滅びのひかり」を今日的に使うならすぐ社会的な批評眼の方へ引いて行きたくなるところだが、麦南さんは「ホトトギス」の重鎮。あくまで季節の推移の肌触りを第一義にする。言葉はしかし五感に触れる実感に裏打ちされているからこそ強烈に比喩に跳ぶ。季節の推移についての実感を提示したあと、やがて人類や地球の滅びをも暗示するのである。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


October 04102007

 すぐ失くす「赤い羽根」とはおもへども

                           吉田北舟子

朝の駅前でボーイスカウトの子供達が声を張り上げて募金を呼びかけていた。NHKのアナウンサーや国会で答弁する政治家の背広の衿に赤い羽根が目につくのもこの時期。なぜ赤い羽根をつけるのか、その由来を共同募金のサイトで調べてみた。アメリカで募金に協力した人々が水鳥の羽根を赤く染めて胸に飾ったのが始まりとか。赤は勇気と善行をあらわす色だという。募金を呼びかけるのも、募金箱にお金を入れるのもちょっとした勇気が必要だからだろうか。募金せずとも学校や職場ではわずかな引き落としで全員に配られていたように思うけど、あの赤い羽根はどこに消えているのだろう。襟元にとどまっているは数日でその後は、捨てているのか、抜け落ちているのか。最後まで見届けた記憶がない。北舟子(ほくしゅうし)がいうように、「すぐ失くす」「赤い羽根」と思いつつも、配られれば配られるまま胸につけ、失くしたら失くしたで気にもとめない。「ども」と言いよどんだあとのささいなひっかかりを言外に表現できるのも俳句ならではの働きだろう。かくて、今年こそは赤い羽根の行方を、と思ってみたけれど、明日になればこの決意も忘れてしまいそうだ。「現代俳句全集第一巻」(1958)所載。(三宅やよい)




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