夜も咲き続けるリンドウ新品種が出現。自然をいじくりまわすのは止めようぜ。(哲




2007ソスN10ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 20102007

 ひたと閉づ玻璃戸の外の風の菊

                           松本たかし

かし全集に、枯菊の句が十句並んでいる年がある。菊は秋季、枯菊は冬季。二句目に、〈いつくしみ育てし老の菊枯れぬ〉とあり、〈枯菊に虹が走りぬ蜘蛛の絲〉と続いている。この時たかし二十七歳、菊をいつくしむとは昔の青年は渋い、などと思っていたが、十月十一日の増俳の、「菊の香はそこはかとなく淡く、それでいて心にひっかかる」という三宅やよいさんの一文に、菊を好むたかしの心情を思った。掲句はその翌年の作。ひたと、は、直と、であり、ぴったりとの意で、一(ひと)と同源という。今、玻璃戸の外の風の、と入力すると、親切に《「の」の連続》と注意してくれる。その、「の」の重なりに、読みながら、何なんだろう何があるんだろう、と思うと、菊。ガラス戸の外には、相当強い風が吹いている。菊は、茎もしっかりしており、花びらも風に舞うような風情はない。風がつきものではない菊を、風の菊、と詠むことで、風が吹くほどにむしろその強さを見せている菊の本性が描かれている。前書きに、病臥二句、とあるうちの一句。病弱であった作者は、菊の強さにも惹かれていたのかもしれない。「たかし全集」(1965・笛発行所)所載。(今井肖子)


October 19102007

 がちやがちやに夜な夜な赤き火星かな

                           大峯あきら

夜同じ虫が同じところで鳴く。巣があるのか、縄張りか。がちゃがちゃの微かだが特徴のある声が聞こえ、夜空には赤い大きな火星が来ている。俳句は瞬間の映像的カットに適した形式だと言われているが、この句の場合はある長さの時間を効果的に盛り込んでいる。加藤楸邨の「蜘蛛夜々に肥えゆき月にまたがりぬ」と同じくらいの時間の長さ。この句、字数が十七。十七音定型を遵守した場合での最大、最長の字数になる。句は意味内容の他に、リズムや漢字、ひらがななどの文字選択、そして字数もまた作品の成否に関わる要素になる。音が同じで字数が少なければ一句は緊縮した印象を与え、字数が混んでいれば叙述的な印象を与える。がちゃがちゃという言葉が虫の名を離れてがちゃがちゃした「感じ」を醸し出すのもこの字数の効果だ。一句の中で文字ががちゃがちゃしているのである。十七音を遵守した上で、最少の字数で作ってみようとしたことがある。九字の句は作れたが、それが限度だった。もちろん内容が一番肝心なのだが。『牡丹』(2005)所収。(今井 聖)


October 18102007

 柿を見て柿の話を父と祖父

                           塩見恵介

の家にいっぱい実った柿がカラスの餌食になってゆく。柔らかく甘い果物が簡単に買える昨今、庭の柿の実をもいで食べる人は少ないのだろうか、よその家の柿を失敬しようとしてコラッと怒られるサザエさんちのカツオのような少年もいなくなってしまった。地方では嫁入りのときに柿の苗木を持参して嫁ぎ先の庭に植え、老いて死んではその枝で作った箸で骨を拾われるという。あの世へ行った魂が家の柿の木に帰ってくるという伝承もあるそうだ。地味で目立たないけど庭の柿はいつも家族の生活を見守っている。春先にはつやつや光る柿若葉が美しく、白く小さな花をつけたあとには赤ちゃんの握りこぶしほどの青柿が出来る。柿の実が赤く色づく頃、普段はあまり言葉のやりとりがない父と祖父が珍しく肩を並べて柿の木を見上げながら何やら嬉しそうに話している。「今年は実がようなったね」「夏が暑いと、実も甘くなるのかねぇ」というように。夫婦や親子の会話はそんな風にさりげなくとりとめのないものだろう。掲句には柿を見て柿の話をしている父と祖父、その様子を少し距離を置いて見ている作者と、柿を中心にしっとりつながる家族の情景を明るく澄み切った秋の空気とともに描きだしている。『泉こぽ』(2007)所収。(三宅やよい)




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