October 252007
君はきのふ中原中也梢さみし
金子明彦
無季句。梢は「うれ」と読ませている。一句の中心をどこに絞り込むのか。一人の詩人が残した透明な詩と強烈な個性が、季語に変わって人々の様々な連想を磁石のように引き付ける。今年は中原中也生誕100年。10月 22日が彼の忌日にあたる。「君はきのふ中原中也」この不思議な措辞は、ナイーブな心を持った友人に「きのう君は中原中也のように振舞ったね。言葉に妥協を許さず、悲しいぐらいに粗暴になったね」と語りかけているのか。それとも「きのふ」というのは遠くて長い輪廻転生の時間で、自分のすぐ近くにいる生き物に「君は中原中也の生まれ変わりだね。」と、話しかけているのか。そしてふっと視線をそらした先には木の葉を落とした樹がその細い枝先を虚空に伸ばしている。「梢(うれ)さみし」は青空に冷たく際立つ梢の形容であるとともにそれを見つめる作者の心の投影でもある。せつなさの滲む口調が直に心にふれてくる中也の詩を思い起こさせる。「町々はさやぎてありぬ/子等の声もつれてありぬ/しかはあれ、この魂はいかにとなるか?/うすらぎて 空となるか?」(臨終)作者の金子明彦は下村槐太の「金剛」に所属。その後林田紀音夫らとともに「十七音詩」を創刊した。『百句燦燦』(1974)所載。(三宅やよい)
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