Appleの新OSを入手した方の使用感を聞いてみたい。我がCUBEには入りませんが。(哲




2007ソスN10ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 27102007

 障子はる手もとにはかにくれにけり

                           原三猿郎

起きるとまず、リビングの窓を開けて、隣家の瓦屋根の上に広がる空を見るのが日課である。リビングの掃き出し窓にカーテンはなく、そのかわりに正方形の黒みがかった桟の障子が四枚。それをかたりと引いて、窓を開け朝の空気を入れる。カーテンに比べると、保温性には欠けるのかもしれないが、障子を通して差し込む光には、四季の表情がある。張り替えは、我が家では年末の大掃除の頃になってしまうのだが、「障子貼る」は「障子洗ふ」と共に秋季。確かに、秋晴の青空の下でやるのが理にかなっており、まさに冬支度である。急に日の落ちるのが早くなるこの時期。古い紙を取り除き、洗って乾かして、貼ってさらに乾かして、と思いのほか時間がかかってしまったのだろう。にはかにくれにけり、とひらがなで叙したことで、つるべ落としの感じが出ており、手もとに焦点を絞ったことで、暮れゆく中に、貼りたての障子の白さが浮き上がる。毎年、障子を張り替えるよ、というと友達を連れてきて一緒に嬉しそうに破っていた姪も中学生、今年はもう興味ないかも。作者の三猿郎(さんえんろう)は虚子に嘱望されていたが、昭和五年に四十四歳の若さで世を去ったときく。虚子編新歳時記(1934・三省堂)所載。(今井肖子)


October 26102007

 糸長き蓑虫安静時間過ぐ

                           石田波郷

学校二年生のとき、学校でやるツベルクリン反応が陰性でBCG接種を行なった。結核予防のために抗体として死んだ菌を植え込んだのである。ところが腕の接種の痕が膿んでいつまでも治らない。微熱がつづいて、医者に行くと結核前期の肺浸潤であるという診断。予防接種の菌で結核になったと父母は憤り嘆いたが、父も下っ端の役人であったために、公の責任を問うことにためらいがあり、泣き寝入りをした。今なら医療災害というところか。ひどい話である。伝染病であるために普通学級へ登校はできない。休んでいるとどんどん遅れてしまうからと、療養所のある町の養護学級への転校をすすめられた。僕は泣いて抵抗し、父母も自宅での療養を決断した。このとき、安静度いくつという病状の基準を聞いた気がする。とにかく寝ていなければならなかったのだ。しかし、子供のこと、熱が下がるととても一日寝ていられない。僕は家を抜け出して、近所の小学校へ友達に会いにいった。接してはいけないと言われていたので、遠くからでも顔を見ようと思ったのである。運動場に人影はなく、僕は自分のクラスの窓の下に近づいて背伸びをしてクラスの中を覗いた。授業中だった。「あっ、今井だ」と誰かが気づいて叫んだ瞬間に恥ずかしさがこみ上げて全力で走って帰った。波郷の安静度は僕の比ではなかっただろう。ただただ、仰臥して過ぎ行く時間の長さ。糸長きが命と時間を象徴している。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


October 25102007

 君はきのふ中原中也梢さみし

                           金子明彦

季句。梢は「うれ」と読ませている。一句の中心をどこに絞り込むのか。一人の詩人が残した透明な詩と強烈な個性が、季語に変わって人々の様々な連想を磁石のように引き付ける。今年は中原中也生誕100年。10月 22日が彼の忌日にあたる。「君はきのふ中原中也」この不思議な措辞は、ナイーブな心を持った友人に「きのう君は中原中也のように振舞ったね。言葉に妥協を許さず、悲しいぐらいに粗暴になったね」と語りかけているのか。それとも「きのふ」というのは遠くて長い輪廻転生の時間で、自分のすぐ近くにいる生き物に「君は中原中也の生まれ変わりだね。」と、話しかけているのか。そしてふっと視線をそらした先には木の葉を落とした樹がその細い枝先を虚空に伸ばしている。「梢(うれ)さみし」は青空に冷たく際立つ梢の形容であるとともにそれを見つめる作者の心の投影でもある。せつなさの滲む口調が直に心にふれてくる中也の詩を思い起こさせる。「町々はさやぎてありぬ/子等の声もつれてありぬ/しかはあれ、この魂はいかにとなるか?/うすらぎて 空となるか?」(臨終)作者の金子明彦は下村槐太の「金剛」に所属。その後林田紀音夫らとともに「十七音詩」を創刊した。『百句燦燦』(1974)所載。(三宅やよい)




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