白い恋人、赤福、御福餅、船場吉兆、比内鶏。全部使って年賀状が書けそう。(哲




2007N114句(前日までの二句を含む)

November 04112007

 林檎もぎ空にさざなみ立たせけり

                           村上喜代子

象そのものにではなく、対象が無くなった「跡」に視線を向けるという行為は、俳句では珍しくないようです。およそ観察の目は、あらゆる角度や局面に行き渡っているようです。句の意味は明解です。林檎をもぐために差し上げた腕の動きや、林檎が枝から離れてゆく動きの余波が、空の広がりに移って行くというものです。現実にはありえない情景ですが、空を水に置き換えたイメージはわかりやすく、美しく想像できます。似たような視点から詠まれた句に、「梨もいで青空ふやす顔の上」(高橋悦男)というのもあります。両句とも、本当にもいだのは果物ではなく、青空そのものであると言いたかったのでしょう。「地」と「絵」の組み合わせを、果物にしたり、空にしたり、水にしたりする遊びは、たしかに飽きることがありません。もぎ取った空に、大きく口をあけてかぶりつけば、そこには果肉に満ちた甘い水分が、今度は人に、さざなみを立てはじめるようです。『合本俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


November 03112007

 落魄やおしろいの実の濡れに濡れ

                           藤田直子

れるは光るに通じている。先日の時ならぬ台風の日、明治神宮を歩いた。玉砂利に、団栗に、ざわつく木々とその葉の一枚一枚に降る雨。太陽がもたらす光とは違う、冷たく暗い水の光がそこにあった。何年か前の雨月の夜、同じように感じたことを思い出す。観月句会は中止となったが、せっかく久しぶりに会ったのだからと、友人と夜の公園に。青い街灯に、桜の幹が黒々と、月光を恋うように光っていた。この句は、前書に「杜國隠棲の地 三句」とあるうちの一句。坪井杜國(つぼいとこく)は、蕉門の一人で、尾張の裕福な米穀商だったが、商売上の罪で流刑、晩年は渥美半島の南端で隠棲生活を送った。享年三十四歳。おしろいの花の時期は、晩夏から晩秋と長いが、俳句では秋季。落魄(らくはく)の、魄(たましい)の一字にある感慨と、おしろいの実の黒く濡れた光が呼応して、秋霖の中に佇む作者が見える一句である。芭蕉は、この十三歳年の離れた弟子に、ことのほか目をかけ、隠棲した後に彼の地を訪ね、別れ際に、〈白芥子に羽もぐ蝶の形見かな〉の句をおくったという。あえかなる白芥子の花弁と、蝶の羽根の白に、硬く黒いおしろいの実の中の、淡い白さが重なる。「秋麗」(2006)所収。(今井肖子)


November 02112007

 ロボットの腋より火花野分立つ

                           磯貝碧蹄館

集『未哭微笑』(みこくみしょう)の中の作者の近作。鉄人28号や鉄腕アトム(かなり古いけど)のような人の形をしたロボットを思い浮かべてもいいし、工場で何かの加工や組立に用いられている複雑な形の機械ロボットでもいい、自動的に動く機械のはざまから火花が出て用途に具するわけである。外は台風の兆がある。現代と自然との力技の調和が感じられる。これまでの情緒とすればミスマッチ。しかし、旧情緒と現実の風景がぶつかれば、必ずそこに違和感が生じる。そこからの造型や新ロマンの構築が見せ場。ミスマッチをマッチにする作者の力が問われる場面である。作者は一九二四年生まれ。この世代、多くは戦後に「社会性」や「職場俳句」の洗礼を受け「前衛」に若き情熱を燃やすが、時代の変遷とともに、花鳥諷詠か、それもどきに転ずる。もちろん最初から花鳥諷詠一徹の方もいる。どちらにしても加齢とともに、季題中心、自然諷詠中心の「やすらぎ」にからめとられていくわけである。肉体と精神のエネルギーが失われ、「自己」を俳句に乗せるのがシンドくなったとき、「楽になろうよ」と花鳥諷詠がポンと肩をたたく。その手を振り切って「今の自己」を俳句に打ち付けて同時代の新しいポエジーに挑戦する。そういう作者のこういう句にこそ本物の詩人の魂が存する。『未哭微笑』(2007)所収。(今井 聖)




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