小沢が民主代表の座を降りるようだ。ナベツネの罠にはまったか。勝手にしろ。(哲




2007ソスN11ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 05112007

 影待や菊の香のする豆腐串

                           松尾芭蕉

蕉の句集を拾い読みしているうちに、「おっ、美味そうだなあ」と目に止めた句だ。前書に「岱水(たいすい)亭にて」とある。岱水は蕉門の一人で、芭蕉庵の近くに住んでいたようだ。「影待(かげまち)」とは聞きなれない言葉だが、旧暦の正月、五月、そして九月に行われていた行事のことである。それぞれの月の吉日に、徹夜をして朝日の上がるのを待つ行事だった。その待ち方にもいろいろあって、信心深い人は坊さんを呼んでお経をあげてもらうなどしていたそうだが、多くは眠気覚ましのために人を集めて宴会をやっていたらしい。西鶴の、あの何ともやりきれない「おさん茂兵衛」の悲劇の発端にも、この影待(徹夜の宴会)がからんでいる。岱水に招かれた芭蕉は、串豆腐をご馳走になっている。電気のない頃のことだから、薄暗い燈火の下で豆腐の白さは際立ち、折りから菊の盛りで、闇夜からの花の香りも昼間よりいっそう馥郁たるものがあったろう。影待に対する本来の気持ちそのままに、食べ物もまた清浄な雰囲気を醸し出していたというわけである。その情況を一息に「串」が「香」っていると言い止めたところが、絶妙だ。俳句ならでは、そして芭蕉ならではの表現法だと言うしかないだろう。それにしても、この豆腐、美味そうですねえ。『芭蕉俳句集』(1970・岩波文庫)所収。(清水哲男)


November 04112007

 林檎もぎ空にさざなみ立たせけり

                           村上喜代子

象そのものにではなく、対象が無くなった「跡」に視線を向けるという行為は、俳句では珍しくないようです。およそ観察の目は、あらゆる角度や局面に行き渡っているようです。句の意味は明解です。林檎をもぐために差し上げた腕の動きや、林檎が枝から離れてゆく動きの余波が、空の広がりに移って行くというものです。現実にはありえない情景ですが、空を水に置き換えたイメージはわかりやすく、美しく想像できます。似たような視点から詠まれた句に、「梨もいで青空ふやす顔の上」(高橋悦男)というのもあります。両句とも、本当にもいだのは果物ではなく、青空そのものであると言いたかったのでしょう。「地」と「絵」の組み合わせを、果物にしたり、空にしたり、水にしたりする遊びは、たしかに飽きることがありません。もぎ取った空に、大きく口をあけてかぶりつけば、そこには果肉に満ちた甘い水分が、今度は人に、さざなみを立てはじめるようです。『合本俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


November 03112007

 落魄やおしろいの実の濡れに濡れ

                           藤田直子

れるは光るに通じている。先日の時ならぬ台風の日、明治神宮を歩いた。玉砂利に、団栗に、ざわつく木々とその葉の一枚一枚に降る雨。太陽がもたらす光とは違う、冷たく暗い水の光がそこにあった。何年か前の雨月の夜、同じように感じたことを思い出す。観月句会は中止となったが、せっかく久しぶりに会ったのだからと、友人と夜の公園に。青い街灯に、桜の幹が黒々と、月光を恋うように光っていた。この句は、前書に「杜國隠棲の地 三句」とあるうちの一句。坪井杜國(つぼいとこく)は、蕉門の一人で、尾張の裕福な米穀商だったが、商売上の罪で流刑、晩年は渥美半島の南端で隠棲生活を送った。享年三十四歳。おしろいの花の時期は、晩夏から晩秋と長いが、俳句では秋季。落魄(らくはく)の、魄(たましい)の一字にある感慨と、おしろいの実の黒く濡れた光が呼応して、秋霖の中に佇む作者が見える一句である。芭蕉は、この十三歳年の離れた弟子に、ことのほか目をかけ、隠棲した後に彼の地を訪ね、別れ際に、〈白芥子に羽もぐ蝶の形見かな〉の句をおくったという。あえかなる白芥子の花弁と、蝶の羽根の白に、硬く黒いおしろいの実の中の、淡い白さが重なる。「秋麗」(2006)所収。(今井肖子)




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