「わからない」「覚えていない」。どちらが言い訳らしくなく聞こえるか(笑)。(哲




2007ソスN11ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 17112007

 別れ路の水べを寒き問ひ答へ

                           清原枴童

い、は冬の王道を行く形容詞であるが、ただ気温が低い、という意味の他に、貧しいや寂しい、恐ろしいなどの意味合いもある。秋季の冷やか、冬季の冷たしも、冷やかな視線、冷たい態度、と使えば、そこに感じられるのは、季感より心情だろう。この句の場合、別れ路の水べを寒き、まで読んだ時点では、川辺を歩いていた作者が、二またに分かれた道のところでふと立ち止まると、川を渡り来る風がいっそう寒く感じられた、といった印象である。それが最後の、問ひ答へ、で、そこにいるのは二人とわかる。そうすると、寒き問ひ答へ、なのであり、別れ路も、これから二人は別れていくのかと思えてきて、寒き、に寂しい響きが生まれ、あれこれ物語を想像させる。寒き、の持つ季感と心情を無理なく含みつつ、読み手に投げかけられた一句と思う。清原枴童(かいどう)は、流転多き人生を余儀なくされ、特に晩年は孤独であったというが、〈死神の目をのがれつつ日日裸〉〈着ぶくれて恥多き世に生きむとす〉など、句はどこかほのぼのしている。句集のあとがきの、「枴童居を訪ふ」という前書のついた田中春江の句〈寒灯にちよこなんとして居られけり〉に、その人となりを思うのだった。「清原枴童全句集」(1980)所収。(今井肖子)


November 16112007

 寒鮒のあを藻ひとすぢからみたる

                           篠田悌二郎

の引きは独特。長く細いウキが単純に一気に潜る釣堀で釣るヘラ鮒ではなく、「野生」の真鮒の話である。真鮒はウキがまずちょんちょんと上下し、やがて横につうと動き、そこから一気に潜る。潜るまでに竿を上げると逃げられる。この横に動くところがなんとも言えずスリリングで鮒釣りにはまるのである。生まれて初めて竿で魚を釣ったのが、小三のとき。鳥取市の城跡のお堀でクチボソがかかってくれた。それまでは、タモを水中や泥の中で振り回しての小えびやメダカやトンボのヤゴが獲物だった。掻き回すからタモはすぐ破れ壊れる。何度も補修を重ねて、タモはたちまち網の部分が小さくなった。腰の辺りまで泥に没しての大奮闘からクチボソを竿で釣るまで三年かかった。そこからシマミミズを用いての鮒釣りまでに二年。クチボソ三年鮒五年。鮒はアタマがいいので、釣る方の成長も必要なのであった。寒鮒は水温が低いため、底の方にじっとしている。それを釣り上げるから「あを藻」がからむ。この「あを藻」が映像の焦点。リアリティの根源である。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


November 15112007

 練乳の沼から上がるヌートリア

                           小池正博

年前だったか小春日和の川べりを歩いているときに巨大ネズミのような生き物が川面にぬっと顔を突き出したので、心臓がずり落ちるほど驚いたことがある。後で調べてヌートリアという名前を初めて知った。関西や中国圏に多く住んでいるらしいが、もともと軍事用の毛皮をとるために移入して養殖された帰化生物ということだ。「ヌートリアと冬日を分かち合ひにけり」と大阪に住む俳人ふけとしこが詠んでいる。今は作物を荒らしたり堤防に巣穴を作ったりして危険ということで、駆除の対象になっているらしい。人間の勝手で移入されて、生態系に害を与えると駆除される。沖縄のマングースをはじめ、人間の浅知恵に振り回されて生きる動物たちも楽ではない。ねっとりと白く汚染された練乳のような沼から顔を出すヌートリア。まったく私たちの生きる世の中だって練乳の沼と同じぐらい底の見えない鬱屈に覆われた場所なのだから、お互いさまと言ったところか。沼から上がるヌートリアの姿に実在感がある。作者は連句に造詣の深い川柳作家。俳人の野口裕と立ち上げた冊子「五七五定型」からは同じ韻律をもつ詩型を従来にない視点で捉えようとする二人の意欲が伝わってくる。「五七五定型」(第2号2007/11/10発行)所載。(三宅やよい)




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