諱定陸貊狗函縺ョ句

November 19112007

 ふたりから離れ毛糸を編みはじむ

                           恒藤滋生

っかり見過ごしてしまいそうな句だが、なかなか面白いなと立ち止まらされてしまった。表面的な情景としては何の変哲もないのだけれど、しかしそれは不思議な心理的空間と重なっている。この不思議は、主として「ふたり」という曖昧な表現に起因するのだろう。読者には「ふたり」がどんな人たちなのか、男なのか女なのか、はたまた老若いずれなのかなども一切わからない。もちろん、関係も不明だ。つまりそれらのことを、作者は急に毛糸を編みはじめた人を通して垣間見せているわけで、この毛糸編む人の心理の忖度のしようによって、「ふたり」は何通りにも解釈できることになる。そこが掲句の不思議な味を醸し出している。毛糸を編むという行為は自分の殻に閉じこもるそれでもあるので、「ふたり」を離れた気持ちもわかるような気はするが、気がするだけで、そう簡単に結論が下せるものでもない。単に、編み上げる時間が迫っているだけかもしれないからだ。いずれにしても、この「ふたり」の存在があって、この句は奇妙な味を得ることになった。こんな「毛糸編む」(冬の季語)の句は、はじめてである。俳誌「やまぐに」(第11号・2007年11月発行)所載。(清水哲男)


June 2362015

 夏至の日を機械の手入れして終わる

                           恒藤滋生

日は夏至。太陽が夏至点を通過し、北半球では一年で昼がもっとも長く、夜がもっとも短くなる。冬至と比べると、昼間の時間差は4時間以上にもなる。太陽を生活の中心とした生活からずいぶんと離れてしまった現代でも、同じ午後5時でもまだこんなに明るいというように、時間を基本としつつ日の長さを実感する。掲句は正確が取り柄の機械と、一年のなかで伸び縮みする太陽の動きとの取り合わせがユニーク。しかも、終日機械の手入れに関わっていたことで、人間はもう太陽とともに生きる生活には戻れないことも示唆しているようにも思われる。そこには、自然が遠く離れてしまったようなさみしさや切なさも漂うのだ。『水分』(2014)所収。(土肥あき子)




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