労働力、2030年には1070万人減(厚労省推計)。憂いてもセンなきことですな。(哲




2007ソスN11ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 23112007

 捨布団あり寒林を戻るなり

                           森田公司

つも見ている風景でありながら風情(詩)を感じないから心に留めない一瞬が、僕らの一日の体験の大半を占める。たまに、ああ、いいなあと思う体験や視覚的カットは、やはり、みんなが同様にいいと思うそれである。それは発見ではなくて共感だろう。捨猫や捨案山子や捨苗には「詩」があり、捨布団や捨バッテリーや捨自転車にはないのだろうか。否、見えるもの、触れるもの、聞こえる音、みなそれぞれどんなものでも、生きている自分とのそのときその瞬間の触れ合いの中で意味を持つ。意識できないだけだ。こういう句を見るとそれをつくづく感じる。「写生」とは時、所、対象を選ばず僕らの前に現れる風景に自分の生を感じるということだ。講談社版『新日本大歳時記』(1999)所載。(今井 聖)


November 22112007

 風冴ゆる熱燗少し溢れ出る

                           江渡華子

曜日、東京では木枯らし1号が吹いた。気象庁のホームページによると、まず期間は10月半ばから11月末日まで。気圧配置が西高東低の冬型であること。関東地方(東京地方)に吹く強い季節風であることなど。これらの条件を満たすものが木枯らし1号と認定されるらしい。木枯らしが吹いたあと風は刺すように冷たくなってゆく。いよいよ本格的な冬の到来。熱燗、鍋のおいしい時期を迎える。居酒屋で継いでもらった酒が勢いあまっておちょこをつうと溢れでる。ときおり店の引き戸を揺する風の音が外の寒さを感じさせる。継いで継がれて話を重ねていくうちに、互いの言葉がお酒にぬくもった胸に少しずつ溶け出してゆく。透明にあふれ出る熱い酒と凍るほど冷たい風との取り合わせがよく効いている。そんな情景を考えてみると世情に通じた年齢の俳人が作ったように思えるが、作者は1984年生まれ。「布団干す故郷は雪が深いころ」「歯ブラシを変えた冬の風香る」これらの句からは遠くふるさとを離れてひとり都会で暮らす若い女性の気持ちがじかに伝わってくる。句集にはどこか老成した句と初々しい感性の句が混在しているが、どの句からも対象を見つめる作者のまっすぐな視線が感じられる。『光陰』(2007)所収。(三宅やよい)


November 21112007

 秋風や屠られに行く牛の尻

                           夏目漱石

正元年(1912)、漱石四十五歳の時の作。四年後に胃潰瘍で亡くなるわけだが、晩年に近い作であることを考慮に入れると、味わいも格別である。屠(ほふ)られに行く牛は、現在だったらトラックに何頭も乗せられている。モーと声もあげず神妙にして、どことなく不安げな表情で尻を並べて運ばれて行くのを目撃することがある。当時もすでにトラックで運んでいたのだろうか。どうやら漱石は実景を詠んだわけではなさそうだ。その年の秋に痔の手術をした、そのことを回想したものである。もともと胃弱で、1910年から1913年頃は胃潰瘍で入退院をくり返していた。修善寺の大患もその頃である。胃弱に加えて痔疾とは、漱石先生も因果なことであった。この場合の「牛の尻」はずばり「漱石の尻」であろう。牛を見てもつい尻のほうへ目が行ってしまった。文豪であるおのれを、秋風のなかの命儚い哀れな牛になぞらえて戯画化してみせたあたり、さすがである。文豪だって痔には勝てない。哀愁と滑稽とがまじりあって、漱石ならではの妙味がただよう秀句。胃弱であるにもかかわらず、油っこい洋食を好み、暴飲暴食していたというからあっぱれ。おのれの胃弱を詠んだ句「秋風やひびの入りたる胃の袋」も「骨立(こつりつ)を吹けば疾(や)む身に野分かな」もよく知られている。いずれもおのれをきちんと対象化している。今年九月から江戸東京博物館で開催されていた「文豪・夏目漱石」展は、つい先日十一月十八日に終了した。なかなか見ごたえのある内容でにぎわった。『漱石全集』第12巻(1985)所収。(八木忠栄)




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