2007ソスN11ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 28112007

 ひといきに葱ひん剥いた白さかな

                           柳家小三治

ういう句は、おそらく俳人には好かれないのだろう。しかし、いきなり「ひといきに」「ひん剥」く勢いと少々の乱暴ぶりは、気取りがなく率直で忘れがたい。しかもそれを「白さ」で受けたうまさ。たしかに葱の長くて白い部分は、ビーッと小気味よく一気にひん剥いてしまいたい衝動に駆られる。スピードと色彩に加えて、葱独特のあの香りがあたりにサッと広がる様子が感じられる。台所が生気をとり戻して、おいしい料理(今夜は鍋物でしょうか?)への期待がいやがうえにも高まるではないか。ある有名俳人に「・・・象牙のごとき葱を買ふ」と詠んだ句があるけれど、白さの比喩はともかく、象牙では硬すぎて噛み切れず、立派すぎてピンとこない。葱の名句は、やはり永田耕衣の「夢の世に葱を作りて寂しさよ」だと、私は決めこんでいる。掲出句には、高座における小三治のシャープで、悠揚として媚を売らず、ときに無愛想にも映る威勢のよさとも重なっているところが、きわめて興味をそそられる。ひといきにひん剥くような威勢と、際立った色彩と香りを高座に重ねて楽しみたい。小三治は「東京やなぎ句会」の創立メンバーで、俳号は土茶(どさ)。俳句についてこう語っている。「俳句ですか。うまくなるわけないよ。うまい人は初めからうまいの。長くやってるからってうまくはならないの。達者になるだけよ。(中略)これからの私は下手でいいから自分に正直な句を作ろうと考えています。ところが、これが難しいんだよね」。よおっくわかります。呵呵。『友あり駄句あり三十年』(1999)所載。(八木忠栄)


November 27112007

 冬眠のはじまりガラスが先ず曇る

                           伊藤淳子

間には冬眠という習慣がないので、それが一体どういうものなのかは想像するしかないが、「長い冬を夢のなかで過ごし、春の訪れとともに目覚める」というのは、たいへん安楽で羨ましく思う。しかし、実際は「眠り」というより、どちらかというと「仮死」に近い状態なのだという。消費エネルギーを最小限に切り替えるため、シマリスでいえば、呼吸は20秒に一回、体温はたった3度から8度になるというから、冬眠中安穏と花畑を駆け回る夢を見ているとは到底想像しがたい。また、冬眠は入るより覚める方が大きなエネルギーを必要とするらしく、無理矢理起こすのはたいへん危険だそうだ。環境が不適切だったためうまく目覚めることができず死に至るケースもあると知った。日常の呼吸から間遠な呼吸へ切り替えていく眠りの世界へのカウントダウンは、だんだんと遠くに行ってしまう者を見送っているような気持ちだろう。ひそやかな呼吸による規則正しいガラスの曇りだけが、生きていることのたったひとつの証となる。〈草いきれ海流どこか寝覚めのよう〉〈漂流がはじまる春の本気かな〉『夏白波』(2003)所収。(土肥あき子)


November 26112007

 ターザンに使われぬまま枯かずら

                           五味 靖

などの世代にとって戦後最初のヒーローといえば、間違いなく、映画の「ターザン」だったろう。私は学校の巡回映画で見た。アフリカの未開の地で類猿人に育てられた彼は、実は英国貴族の末裔という設定だ。彼は人間の言葉がしゃべれない。猛獣との闘いのときなどに「アーーアアァ」という雄叫びをあげるくらいで、あとは人間には意味不明の「言語」を発するのみである。ジャングルを移動するのに、ターザンはいたるところにぶら下がっている植物の蔓を利用して、木から木へと猛スピードで飛び移ってゆく。まことに格好がよろしい。全国の子供たちが、それを真似て遊んだものだった。ターザンのように高いところまでは飛べないけれど、それでも私たちは必死に蔓にしがみつき、「アーーアアァ」と叫びながらわずかな距離を飛んだだけで、すっかりターザン気分になれたのである。敗戦後の何もない時代、それ以上に何もなく裸で活躍するターザンに、私たちがあこがれたのは当然だったと思う。掲句の「ターザン」は、だからワイズミュラーの演じた映画のターザンではなく、その頃の男の子たちを指している。そしていま、往年のターザン「たち」はみな、とっくに還暦を過ぎてしまった。もはや蔓につかまり雄叫びをあげる者などはいなくなり、「かづら」などは誰にも見向きもされないままに枯れてゆくばかり。まさに「昔の光、いまいずこ」ではないか、そんな感慨が読み込まれている句である。「あいずみ文芸」(第二号・2007年10月発行)所載。(清水哲男)




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