十一月も終わりですね。写真は徳島の方から送っていただいたシイの実です。(哲




2007ソスN11ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 30112007

 真白なショールの上に大きな手

                           今井つる女

ョールは女のもの。大きな手は男のもの。二つの「もの」には当然のように性別が意図され規定される。ショールの上に手が置かれる間柄を思うと、この男女は夫婦、または恋人同士。ショールは和装用だから男もまた和装であってよい。「もの」しか書かれていないのに、その組み合わせはつぎつぎとドラマの典型を読者に連想させる。上原謙と原節子、佐田啓二と久我美子、はたまた鶴田浩二と岸恵子。こんな組み合わせのカップルだろうか。オダギリジョーとえびちゃんではこうはならない。つまりこのドラマには、恋愛や夫婦の在り方や倫理観や風俗習慣など、明治三十年生まれの「女流」から見たコンテンポラリーな風景と意識が明解に映し出されている。時代に拠って変化するものは、後年みると古臭く見える。それは当たり前だろう。だからといって草木や神社仏閣の情緒に不変のものを求めるのは現在ただ今の自己への執着を放棄することにならないか。現在ただ今の、流動しかたちを定めない万相の中にこそ時代の真実があり、自己の生があり、その一瞬から永遠が垣間見える。「写生」とはそういう特性をもつ方法である。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


November 29112007

 ふりむけば障子の桟に夜の深さ

                           長谷川素逝

面台で顔を洗っているとき、暗い夜道を歩くとき。背後はいつだって無防備だ。掲句には一人夜更かしをしていて、ふっとわれに返り振り返った瞬間、薄闇に沈んだ障子の桟が黒々と感じられた様子が捉えられている。昔はひとり起きているのに今のように煌々と電気をつけることはなかった。せいぜい六畳間の端に寄せた机に笠をかぶせたスタンドで手元を明るくするぐらいだった。私が住んでいた古い家は夜になると日中暖められた木が冷えて軋むのか、廊下で、天井でときおり妙な音がした。夜の家は物の怪が練り歩いているようで不気味だった。作者も何か気配を感じて振り向いたのだろう。自分が感じた濃密な雰囲気を表現するのに視線の先をどこに着地させるか。障子全体ではなく障子の桟に限定したことで、ひとりでいる夜の空気を読み手に生々しく感じさせる。夜を煌々と照らし、身辺に何かしら音があることに慣れた現代人の失った暗黒と静寂がこの句から感じられる。それは人がひとりに帰り、自分と向き合う大切な時間だったのかもしれない。「素逝の俳句を読むと、表現ということと見るということの二つを特に感じる。」と野見山朱鳥が述べているが、この句にも素逝の感性の鋭さが視線となって、障子の桟に突き刺さり、そこによどんでいる不安を「夜の深さ」として表しているように思う。『定本素逝句集』(1947)所収。(三宅やよい)


November 28112007

 ひといきに葱ひん剥いた白さかな

                           柳家小三治

ういう句は、おそらく俳人には好かれないのだろう。しかし、いきなり「ひといきに」「ひん剥」く勢いと少々の乱暴ぶりは、気取りがなく率直で忘れがたい。しかもそれを「白さ」で受けたうまさ。たしかに葱の長くて白い部分は、ビーッと小気味よく一気にひん剥いてしまいたい衝動に駆られる。スピードと色彩に加えて、葱独特のあの香りがあたりにサッと広がる様子が感じられる。台所が生気をとり戻して、おいしい料理(今夜は鍋物でしょうか?)への期待がいやがうえにも高まるではないか。ある有名俳人に「・・・象牙のごとき葱を買ふ」と詠んだ句があるけれど、白さの比喩はともかく、象牙では硬すぎて噛み切れず、立派すぎてピンとこない。葱の名句は、やはり永田耕衣の「夢の世に葱を作りて寂しさよ」だと、私は決めこんでいる。掲出句には、高座における小三治のシャープで、悠揚として媚を売らず、ときに無愛想にも映る威勢のよさとも重なっているところが、きわめて興味をそそられる。ひといきにひん剥くような威勢と、際立った色彩と香りを高座に重ねて楽しみたい。小三治は「東京やなぎ句会」の創立メンバーで、俳号は土茶(どさ)。俳句についてこう語っている。「俳句ですか。うまくなるわけないよ。うまい人は初めからうまいの。長くやってるからってうまくはならないの。達者になるだけよ。(中略)これからの私は下手でいいから自分に正直な句を作ろうと考えています。ところが、これが難しいんだよね」。よおっくわかります。呵呵。『友あり駄句あり三十年』(1999)所載。(八木忠栄)




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