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December 01122007

 人間はぞろぞろ歩く浮寝鳥

                           田丸千種

えよう、と意識したわけではないのに、なんとなく口をついて出てしまう句というのがある。この句は私にとって、そんな一句。出会ったのは、昨年の十二月十七日、旧芝離宮恩賜庭園での吟行句会にて。芝離宮は、港区海岸一丁目に所在し、昔は海水を引き入れていたという池を中心とした庭園で、毎年水鳥が飛来する。十二月も半ばの冬日和の池の日溜りには、気持よさそうな浮寝鳥が、さほど長くはない首を、器用に羽根の間に埋めて漂っていた。日が動くと、眠っているはずの浮寝鳥達が、つかず離れずしながらいつのまにか、日向に移動。ほんとうに眠っているのか、どんな夢をみているのか、鳥たちを遠巻きにしつつ、それぞれ池の辺の時間を過ごしたのだった。たくさんあった浮寝鳥の句の中で、この句はひとつ離れていた。師走の街には足早な人の群。何がそんなに忙しいのか、どこに向かって歩いているのか。命をかけた長旅を経た水鳥は、今という時をゆっくり生きている。ぞろぞろとぷかぷか、動と静のおもしろさもあるかもしれないが、浮寝鳥に集中していた視線をふっとそらして、それにしてもいい天気だなあ、と空を仰いでいる作者が見えた。(今井肖子)


April 0942011

 白樺に吊すぶらんこ濡れやすく

                           田丸千種

供達が風の中思いきりぶらんこを漕ぐ、という図はいかにも春。ぶらんこは、中国の行事が元になって春に分類されているというが、そこには春風が心地よく吹いている。しかしこの句のぶらんこは、静かに白樺林の中にある。木で作られ少し傾いたぶらんこ、夏の間だけ誰かを楽しませるために、そこで一年の大半をぼんやりぶらさがって過ごしている、そんな避暑地の別荘の風景のようにも思える。濡れやすく、という少し主観の入った言葉によってぶらんこが、なんとなく親しく優しい存在になってくる。俳句同人誌「YUKI」(2011年春号)所載。(今井肖子)




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