昨日は暖かい日曜日、しかし紅葉は散りはじめた。今週末まで、もつかどうか。(哲




2007ソスN12ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 03122007

 賀状書きつゞく鼠の尾のみえて

                           井沢唯夫

の秋に、新俳句人連盟から『新俳句人連盟機関誌「俳句人」の六〇年』をいただいた。全792ページという、掌に重い大冊である。連盟60年の歴史的記述や座談会も貴重で興味深く読んだが、なかで圧巻は「俳句人」の毎号の目次がすべて往時のままに図版で掲載されている部分だ。創刊号(1946年11月)の目次を見ると、日野草城、西東三鬼、石田波郷、橋本多佳子らが作品を寄せている。その後の連盟の歩みからすると、かなり異質な寄稿者たちとも思えるが、敗戦直後の特殊事情が大いに関係していたのだろう。見ていくとしばらくガリバン刷りの時期もあって、先人の労苦がしのばれる。ところで掲句だが、1979年5月号の目次欄に掲載されていた。したがって作句は前年末と推定されるが、ぱっと目に留まったのは、もちろん来年が鼠の年(子年)だからだ。あと半月もすると、多くの人たちがプリントされた「鼠(の尾)」の絵に半ばうんざりしながら賀状書きに励むことになる。何の疑いもなく、私はそのように微笑しつつ読み、しかし念の為にと調べてみたら、1979年は未年であり、作者の書いている賀状に鼠の絵などはあり得ないことがわかった。つまり、作者が詠んだのは本物の鼠(の尾)だったというわけだ。わずか三十年ほど前の話である。鼠がこれほどに人の身近にいたとは、とくに若い人には信じられないだろう。もう少しのところで、私はとんでもない誤読をやらかすところだった。今現在のあれこれだけを物差しに、昔の俳句を読むのは危険なのだ。その見本のような句と言うべきか。(清水哲男)


December 02122007

 床に児の片手袋や終電車

                           小沢昭一

業柄、決算期には仕事を終えるのが夜遅くなり、渋谷駅で東横線の終電車に飛び乗ることも少なくはありません。朝の通勤ラッシュには及ばないまでも、終電車というのはかなりの混みようです。それも仕事帰りの勤め人だけではなく、飲み屋から流れてきた男女も多く、車内はがやがやとうるさく、本を読むこともままなりません。それでもいくつかの大きな乗換駅を過ぎるころには、車内の混雑もそれほどではなくなってきます。それまで、大きな体のサラリーマンの背中に押し付けられていた顔も、普通の位置に戻ることができました。前の席が空いて、ああ極楽極楽と座った目の先に、小さなかわいらしい手袋が落ちています。そういえばあの混雑の中に、子供を抱いた女性がいたなと、思い出します。もうどこかの駅で降りてしまったもののようです。おそらく、子供だけが、手袋が落ちた瞬間に「あっ」と思ったのでしょう。「おかあさん」と知らせるまもなく、母親は人ごみに押されるままに、電車を下りてしまったのです。終電車という熱気のなかの雰囲気、抱かれた子供の、落ちてゆく手袋への視線、子供を抱きかかえて乗り物に乗ることの不自由さ、などなど、さまざまな思いがない交ぜになって、この句は感慨深いものを、わたしに与えてくれます。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)


December 01122007

 人間はぞろぞろ歩く浮寝鳥

                           田丸千種

えよう、と意識したわけではないのに、なんとなく口をついて出てしまう句というのがある。この句は私にとって、そんな一句。出会ったのは、昨年の十二月十七日、旧芝離宮恩賜庭園での吟行句会にて。芝離宮は、港区海岸一丁目に所在し、昔は海水を引き入れていたという池を中心とした庭園で、毎年水鳥が飛来する。十二月も半ばの冬日和の池の日溜りには、気持よさそうな浮寝鳥が、さほど長くはない首を、器用に羽根の間に埋めて漂っていた。日が動くと、眠っているはずの浮寝鳥達が、つかず離れずしながらいつのまにか、日向に移動。ほんとうに眠っているのか、どんな夢をみているのか、鳥たちを遠巻きにしつつ、それぞれ池の辺の時間を過ごしたのだった。たくさんあった浮寝鳥の句の中で、この句はひとつ離れていた。師走の街には足早な人の群。何がそんなに忙しいのか、どこに向かって歩いているのか。命をかけた長旅を経た水鳥は、今という時をゆっくり生きている。ぞろぞろとぷかぷか、動と静のおもしろさもあるかもしれないが、浮寝鳥に集中していた視線をふっとそらして、それにしてもいい天気だなあ、と空を仰いでいる作者が見えた。(今井肖子)




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