December 092007
右ブーツ左ブーツにもたれをり
辻 桃子
季語はもちろんブーツ。なにしろこの句にはブーツしか描かれていません。その単純明快さが、読んでいて頭の中をすっと気持ちよくしてくれます。我が家も私以外は女性ばかりなので、冬になるとよく、このような光景を目にします。ただでさえ狭いマンションの玄関の中に、所狭しと何足ものブーツがあっちに折れ曲がったりこっちに折れ曲がったりしています。そのあいだの狭いスペースを探して、わたしは毎夜靴を脱ぐ羽目になります。たかが玄関のスペースのことですが、どこか家の力関係を表しているようで、あまり気持ちのいいものではありません。最近はブーツを立てておくための道具も(かわいい動物の絵などが描かれているのです)できているようで、この折れ曲がりは、我が家では見ることがなくなりました。右ブーツが左ブーツにもたれているといっています。「折れ曲がる」でもなく「倒れる」でもなく「もたれる」ということによって、どこか人に擬しているように読めます。ブーツそのものが、そのまま女性を連想させ、そこから何か物語めいた想像をめぐらすことも可能です。しかしここは、単にブーツがブーツにもたれているという単純で、それだけにユーモラスな様子を頭に思い浮かべるだけでよいのかなと、思います。それでちょっと幸せで、あたたかな気持ちになれるのなら。『微苦笑俳句コレクション』(1994・実業之日本社)所載。(松下育男)
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