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December 13122007

 てめえの靴はてめえで探せ忘年会

                           山本紫黄

年もあとわずか。毎晩どこかで忘年会が開かれていることだろう。会も無事終わり「いいお年を」と声をかけあって、酒席を後にしたものの、その後の混乱がこれである。このごろは上がり口で個別に靴を入れて下足札をもらうところも多いようだけど、土間にずらりと黒革靴が並べてあれば、騒ぎは目に見えるようである。サイズやくたびれ具合もほぼ同じ靴のどれが誰のものやら酔眼で見分けるのは容易ではない。掲句はそのてんやわんやの騒ぎを自分も一緒に靴を探しながら楽しんでいるのか。または、自分の靴を自分で探そうとせずに、「俺の靴はどこだ、早く探せ」と部下を顎で使って靴を探させている上役に投げつけられたタンカなのか。どちらにしてもこのような言葉を俳句に入れるのは簡単そうに見えて難しい。その場の状況を一言で想像させる力、言葉の切れのよさと勢いと。そしてこの場合の季語は職場の全員が集い、一年の労苦をねぎらう「忘年会」がぴたりと決まる。この作者にお会いしたことはないけど、俳句でこんなタンカが切れるのだから、普段は物静かな紳士だったのだろう。「これは俳句といえないのでは」という句会での評に「僕が俳句というのだから俳句だ」と断じたのは師の西東三鬼だったと池田澄子さんから伺った。山本紫黄氏は今年八月、第二句集『瓢箪池』を上梓された直後、急逝された。『早寝島』(1981)所収。(三宅やよい)


March 1032011

 柵ごしの地面しづもる弥生かな

                           山本紫黄

便番号簿を見ていて季題にある植物と同じ地名を見つけたのをきっかけに季題地名一覧として編集したのが、高橋龍の「郵便番号簿季題地名一覧」である。この句は郵便番号113−0032 東京都文京区弥生の例句として出されている。文京区本郷は、弥生式土器が発見された場所であり、もとになる村落という意味をこめて「本郷」と呼ばれたと聞いたことがある。掲句では、ものみな盛んに茂り始める弥生という季語と、柵越しに見える地面が抱えこむ豊かな時間とが響き合っているように思える。むかしを知る手掛かりになる大事な地名も行政の合理化のため味気ないものに統合されてしまった。東京都文京区弥生も消えかかったが、ここに住む人たちが地名を残すべく行政に抵抗して残ったという経緯があったと本書に記されている。わたしが生まれた場所もどこにでもある「中央区」になってしまったが、考えてみればもったいなかった。「郵便番号簿季題地名一覧」九有似山洞・編(2009)所収。(三宅やよい)


September 2092011

 いつもあなたに褒められたかつた初涼

                           阿部知代

山本紫黄の前書がある。「面」を主宰していた山本紫黄は〈新涼の水の重たき紙コップ〉〈日の丸は余白の旗や春の雪〉など、諧謔と抒情の匙加減の絶妙な作家であった。俳縁とは不思議な縁である。ともすれば、その人の年齢も生業も知らないまま、何十年と付き合いが続く。亡くなって初めて、ご家族の顔を知ることも少なくない。俳人の葬儀では、故人が句会で発していた名乗りを真似た声が、どこからともなく上がるという。おそらく家族や親戚も知らない、座を共有した者たちだけが知る故人の声である。それはまるで鳴き交わしあった群れが、去っていく仲間に送る最後の挨拶のようだと、今も深く印象に残っている。俳句は、おおかたが大人になってから出会うこともあり、褒められるという機会がなくなった頃、句会で「この句が好きだ」と臆面もなく他人から言われることの喜びを得られる場である。そして、誰にも振り向かれなくても心から慕う人だけに取られたときの充足はこのうえないものだ。師を失った弟子の慟哭は限りない。生前は言えなかったが、もう会えない聞いてもらえないからこそ吐露できる言葉がある。そして、これほど切ない恋句はないと気づかされる。「かいぶつ句集」(2011年9月・第60号特別記念号)所載。(土肥あき子)


July 3072012

 人文字を練習中の日射病

                           山本紫黄

射病という言葉だけは子どもの頃から知っていたが、本当に日射病で倒れる人がいることを知ったのは、高校生になってからだった。朝礼の時間に、ときどき女生徒がうずくまったりして「走り寄りしは女教師や日射病」(森田峠)ということになった。ちょうどそういう年頃だったせいなのだろうが、太陽の力は凄いんだなと、妙な関心の仕方をしたのを覚えている。甲子園のスタンドなどでよく見かける「人文字」は、一糸乱れぬ連携が要求されるから、たった一人の動きがおかしくても、全体が崩れてしまう。つまり、日射病にやられた生徒がいれば、遠目からはすぐにわかるわけだ。作者には練習中だったのがまだしもという思いと、本番に向けて留意すべき事柄がまた一つ増えた思いとが交錯している。似たような光景を私は、甲子園の開会式本番で目撃したことがある。入場行進につづいて選手が整列しおわったときに、最前列に並んだ某高校のプラカードが突然ぐらりと大きく傾いた。すぐさま係員が飛んできて別の生徒と交代させたのだが、暑さと緊張ゆえのアクシデントだった。たしか荒木大輔が出場した年だったと思うが、あのとき倒れた女生徒は、毎夏どんな思いで甲子園大会を迎えているのだろうか。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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