December 162007
さう言へばこけしに耳のない寒さ
久保枝月
そう言えば、(と、わたしも同じようにはじめさせてもらいます)わたしが子供のころには、畳の部屋によく、飾り棚が置いてありました。今のように部屋にゆったりとしたソファーが置いてあったり、あざやかな柄のカーテンがついていたりということなど、なかった時代です。飾り棚と言っても、作りはいたって簡単で、ガラス扉の向こうには、たいていいくつかのこけしが、そっと置いてあるだけでした。来る日も来る日も同じガラスの向こうに、同じこけしの姿を見ている。それがわたしの子供のころの、変化のない日常でした。思えば最近は、こけしを目にすることなどめったにありません。ああそうか、こけしには耳がなかったんだと、あらためて作者は思ったのです。作者が「寒さ」を感じたのは、「こけし」であり、「耳」であり、「ないこと」であったようです。そしてその感覚は、自分自身にも向けられていたのかもしれません。耳という部位を通して、こけしであることと、ひとであることを、静かに比べているのです。「さう言へば」という何気ない句のはじまり方が、どこか耳のないこけしに、語りかけてでもいるように読めます。『微苦笑俳句コレクション』(1994・実業之日本社)所載。(松下育男)
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