January 052008
鳥総松月夜重ねて失せにけり
風間啓二
明けて、平成二十年も早五日、二日ほどで松もとれる。鳥総松(とぶさまつ)は、門松をとった後に、その松の梢を折って差しておくもの。鳥総はもともと、木こりが木を切った時、その一枝を切り株に立て、山の神を祀ったことをいい、鳥総松はこれにならった新年の習慣である。我が家の近隣の住宅街では、本格的な門松を立てる家はまずなく、たいていは松飾りを門扉に括りつけている。我が家の門柱は煉瓦の間に、頭が直径1.5センチほどの輪になったねじ釘が埋めこんであり、そこに松飾りを挿して括る。そして松がとれると、枝を折り、鳥総松とするが、近所では見かけない。十五日まで挿してあるので、小学生が登下校の道すがら、さわるともなくさわっていったりする。この句の場合は、本格的な門松の跡の地面に立てた鳥総松だろう。松の梢は、正月の華やぎの余韻のように、やや頼りない姿で立っている。そして一週間ほど経った朝、片づけようと表を見ると、なくなってしまっているのだ。風にさらわれたのか、犬がくわえていってしまったのか、夜々の月に、傾いだ一枝がひいていた影を思い出しつつ、「今年」が本格的に始動する。『俳句大歳時記』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)
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