ム子句

January 0512008

 鳥総松月夜重ねて失せにけり

                           風間啓二

けて、平成二十年も早五日、二日ほどで松もとれる。鳥総松(とぶさまつ)は、門松をとった後に、その松の梢を折って差しておくもの。鳥総はもともと、木こりが木を切った時、その一枝を切り株に立て、山の神を祀ったことをいい、鳥総松はこれにならった新年の習慣である。我が家の近隣の住宅街では、本格的な門松を立てる家はまずなく、たいていは松飾りを門扉に括りつけている。我が家の門柱は煉瓦の間に、頭が直径1.5センチほどの輪になったねじ釘が埋めこんであり、そこに松飾りを挿して括る。そして松がとれると、枝を折り、鳥総松とするが、近所では見かけない。十五日まで挿してあるので、小学生が登下校の道すがら、さわるともなくさわっていったりする。この句の場合は、本格的な門松の跡の地面に立てた鳥総松だろう。松の梢は、正月の華やぎの余韻のように、やや頼りない姿で立っている。そして一週間ほど経った朝、片づけようと表を見ると、なくなってしまっているのだ。風にさらわれたのか、犬がくわえていってしまったのか、夜々の月に、傾いだ一枝がひいていた影を思い出しつつ、「今年」が本格的に始動する。『俳句大歳時記』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


January 1212008

 息白くうれし泪となりしかな

                           阿部慧月

よいよ寒さの増すこの時期、朝、窓を開けて吐いた息が、そのまま目の前で白く変わってゆくのを見るのは、寒いなあと感じると同時に、どこか不思議な気分になる。ふだんは目に見えないものが見えるからだろうか。先日、人であふれかえる明治神宮で、中国人の一団が大きい声で話しながら歩いているのに遭遇。早口の中国語は、鳥語よりもわからないくらいだったが、次々に飛び出す言葉はみるみる白い息となり、混ざり合って消えていった。この句の白い息は、うれし泪になった、という。遠くから、作者に向かって誰かが走って来る。何かとてもうれしいことがあって、それを一刻も早く伝えたかったのか、ただただ作者に会いたかったのか。そして、無言のまま弾んでいる息は、何か言いたげに、白く白く続けざまに出てくるのだが言葉にならない。そのうち、言葉よりも先にうれし泪があふれ出てきたのである。もちろん、息白く、で軽く切れているのであり、息が泪になったわけではないが、言葉よりも先に瞳からあふれ出た感情が、白い息によって、強く読み手に伝わってくる。泪は、涙と同じだが、さんずいに目、という直接的な字体が、なみだをより具体的に感じさせる。『帰雁図』(1993)所収。(今井肖子)


January 1912008

 ヴァンゴッホ冷たき耳を截りにけり

                           相生垣瓜人

ッホが自らの耳を傷つけたのは1888年、クリスマスもほど近い12月23日。太陽をもとめて移り住んだ南仏の町アルルで、当時同居し、制作活動を共にしていたゴーギャンとの激しい諍いの果てであったという。春の水に映る跳ね橋、星月夜のカフェ、真夏の太陽そのものの輝きを放つひまわり。ゴッホは、アルルに滞在した四百日余りで、油絵、素描合わせて三百枚以上を描いたといわれている。掲句、実際は耳たぶの先をきり落としたのだというから、切る、ではなく、裁つ、きり離す、の意のある、截る、なのだろう。比較的いつもひんやりしている耳たぶだが、寒さがつのる冬には、ことさらその冷たさが際だつ。作者は、そんな感覚を失ってちぎれそうな自分の耳たぶに触れ、ふとゴッホに思いをはせたのだろうか。右手にカミソリを持ったゴッホが、左手で思わず掴んだ自らの耳たぶ。それは、やわらかくたよりなく、まるで自分自身の弱さの象徴のように思えたのかもしれない。冷たし、にある悲しみは、熱い血となって、その傷口から流れ出たことだろう。この後、ゴーギャンはタヒチに移り住み、ゴッホは1890年、三十七年の生涯を自らの手で閉じたのだった。『新日本大歳時記』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


January 2612008

 雪片のつれ立ちてくる深空かな

                           高野素十

週、火曜日の夜。冷え冷えとした夜道で、深い藍色の空に白々と冴える寒満月を仰ぎながら、これは予報どおり雪になるかもしれない、と思った。翌朝五時に窓を開けると、予想に反していつもの景色。少しがっかりして窓を閉めようとすると、ふわと何かが落ちてきた。あ、と思って見ていると、ひとつ、またひとつ、分厚く鈍い灰色の雲のかけらが零れるように、雪が落ち始めたのだった。すこし大きめの雪のひとひらひとひらが、ベランダに、お隣の瓦屋根に、ゆっくり着地しては消えていく。それをぼんやり眺めながら、「雪片」という言葉と、この句を思い出した。その後、東京にしては雪らしい雪となったが、都心では積もるというほどでもなく、霙に変わっていった。長く新潟にいた作者であり、この句、雪国のイメージと、つれ立ちて、の言葉に、雪がたくさん降っているような気がしていたが、違うのかもしれない。雨とは違って、その一片ずつの動きが見える雪。降り始めたばかりの雪は、降る、というより確かに、いっせいにおりてくる、という感じだ。やがて、すべてのものを沈黙の中に覆いつくす遙かな雪雲を見上げ、長い冬が始まったことを実感しているのだろうか。『雪片』(1952)所収。(今井肖子)


February 0222008

 春近し時計の下に眠るかな

                           細見綾子

日は節分、そして春が立つ。立つ、とは、忽然と現れる、という意味合いらしいが、季節の変わり目に、たしかにぴったりとした表現だなと、あらためて思う。ここしばらく寒い日が続いた東京でも、日差の匂いに、小さいけれど確かな芽吹きに、春が近いことを感じてほっとすることが間々あった。春待つ、春隣、春近し、は、冬の終わりの言葉だけれど、早春の春めくよりも、強く春を感じさせる。この句の作者は夜中に目覚めて、冷えた闇の中にしばらく沈んでいたのだろう。すると、柱時計が鳴る、一つか二つ。少し湿った春近い闇へ、時計の音の響きもゆるやかにとけてゆく。そしてその余韻に誘われるように、また眠りに落ちていったのだろう。先日、とある古い洋館を訪ねたが、そこには暖炉や揺り椅子、オルガンといった、今はあまり見かけなくなったものが、ひっそりと置かれていた。そのオルガンの、黒光りした蓋の木目にふれた時、ふとその蓋の中に春が隠れているような気がした。そっと開けてみようか、でもまだ開けてはいけないのかもしれない。その日の、きんとした冬晴の空を思い出しながら、時計の下に眠っているのは春なのかもしれない、などと思ったのだった。『図説俳句大歳時記』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


February 0922008

 黒といふ色の明るき雪間土

                           高嶋遊々子

京に今週三度目の雪の予報が出ている。しかしまあ、降ったとしても一日限り、翌日は朝からよく晴れて、日蔭にうっすら青みを帯びた雪が所在なげに残っているものの、ほとんどがすぐ消えてゆくだろう。雪間とは、長い冬を共に過ごした一面の雪が解けだして、ところどころにできる隙間のことをいい、雪の隙(ひま)ともいう。雪間土とは、そこに久しぶりに見られる黒々とした土である。雪を掻いた時に現れる土は凍てており、まだ眠った色をしているのだろう。それが、早春の光を反射する雪の眩しさを割ってのぞく土の黒は、眠りから覚め、濡れて息づく大地の明るさを放っている。よく見ると、そこには雪間草の緑もちらほらとあり、さらに春を実感するのだろう。残念ながら、私にはそれほどの雪の中で冬を過ごして春を迎えた経験はないが、黒といふ色、という、ややもってまわった表現が、明るき、から、土につながった瞬間に、まるで雪が解けるかのような実感を伴った風景を見せてくれるのだった。「ホトトギス新歳時記」(1986・三省堂)所載。(今井肖子)


February 1622008

 椿の夜あたまが邪魔でならぬかな

                           鳴戸奈菜

椿の花の時期は長いが、盛りは二月半ばから三月。花弁を散らしつつ、咲きながら散りながら冬を過ごす山茶花とは異なり、ぽたっと花ごと落ちるので、落椿という言葉もある。木偏に春は国字というが、あまり春の花という印象が強くない気がするのは、その深緑の葉の硬質な暗さや、春風を感じさせることのない落ち方のせいだろうか。それにしても掲句、あたまが邪魔なのだという。ひらがなの、あたま、は、理性、知性、思慮分別。もっと広く、本能以外のものすべてであるかもしれない。ものみな胎動し始める早春の闇に引きこまれるように、本能のおもむくままでありたい自分と、そんな一瞬にも、椿の一花が落ちる音をふと聞き分けるほどの冷静さで自分を見つめる自分。ならぬかな、にこめられた感情の強さは、同時に悲しみの強さともいえるだろう。一度お目にかかった折の、理知的で穏やかで優しい印象の笑顔と、「写生とは文字通り、生を写すこと」という言葉を思い出している。『鳴戸奈菜句集』(2005・ふらんす堂)所収。(今井肖子)


February 2322008

 畦焼を終へたる錦糸卵かな

                           松岡ひでたか

焼、野焼。早春、田や畦の枯れ草を焼くことで、害虫駆除の効果があり、その灰が肥料にもなるという。野焼したあとの黒々とした野原を、末黒野(すぐろの)ということは、俳句を始めて、知った。箱根仙石原の芒原の野焼が終わった直後、まさに末黒野を目の当たりにしたことがある。秋には金色の風がうねる芒原が、黒々とその起伏を広げており、ところどころ燃え残った芒を春浅い風が揺らしていた。穏やかな日を選んでも、春の初めの風は強い。田や畦を焼くのは、一日がかりの、地域総出の、相当な緊張を強いられる一大作業だろう。錦糸卵は、多分ちらし寿司の上にのっている。無事に野焼が終えることを願って作られたちらし寿司。錦糸卵の、菜の花畑を思わせるお日さま色の鮮やかさと、口に広がるほのかな甘さが、ついさっきまでの荒々しい炎に包まれた緊張をほぐしてくれる。野焼の炎の激しさを詠むことなく、それを感じさせる、ふんわりとした錦糸卵である。『光』(2000)所収。(今井肖子)


March 0132008

 遊び子のこゑの漣はるのくれ

                           林 翔

月の空はきっぱり青い。春一番が吹いて以来冴返る東京だが、空の色は少しずつうす濁ってきて今日から三月。通勤途中、どこからとなく鳥の声が降ってくるようになり、しつこい春の風邪に沈みがちな気分を和らげてくれる。春の音はきらきらしている。鳥の声も、水の流れも、聞き慣れた電車の音も、人の声も。最近の子供は外で遊ばなくなった、と言われて久しいが、買い物袋を下げて通る近所の公園には、いつもたくさんの子供が集まって、ぶらんこやシーソーに乗り、気の毒なくらい狭いスペースでバレーボールやドッヂボールに興じている。遊び子という表現は、遊んでいる子供の意であろうが、いかにも、今遊んでいるそのこと以外何も考えていない子供である。その子供達の楽しそうな笑い声が、日の落ちかけた茜色の空に漣のように広がっていく。こゑ、と、はるのくれ、のやわらかな表記にはさまれた、漣。さざなみ、の音のさらさら感と、水が連なるという、文字から来る実感を持つこの一文字が効果的に配されている。今日より確実に春色の深まる明日へ続く夕暮れである。『幻化』(1984)所収。(今井肖子)


March 0832008

 外に出よと詩紡げよと立子の忌

                           岡田順子

年めぐってくる忌日。〈生きてゐるものに忌日や神無月 今橋眞理子〉は、親しい友人の一周忌に詠まれた句だが、まことその通りとしみじみ思う。星野立子の忌日は三月三日。掲出句とは、昨年三月二十五日の句会で出会った。立子忌が兼題であったので、飾られた雛や桃の花を見つつ、空を仰ぎつつ、立子と、立子の句と向き合って過ごした一日であったのだろう。〈吾も春の野に下り立てば紫に〉〈下萌えて土中に楽のおこりたる〉〈曇りゐて何か暖か何か楽し〉まさに、外(と)に出て、春の真ん中で詠まれた句の数々は、感じたままを詩(うた)として紡いでいる。出よ、紡げよ、と言葉の調子は叱咤激励されているように読めるが、立子を思う作者の心中はどちらかといえば静か。明るさを増してきた光の中で、俳句に対する思いを新たにしている。今年もめぐって来た立子忌に、ふとこの句を思い出した。このところ俳句を作る時、作ってすぐそれを鑑賞している自分がいたり、へたすると作る前から鑑賞モードの自分がいるように思えることがあるのだ。ああ、考えるのはやめて外へ出よう。(今井肖子)


March 1532008

 卒業歌ぴたりと止みて後は風

                           岩田由美

代は、中高の卒業式に歌われる歌もさまざま。オリジナル曲を歌う学校もあるというが、私の時代はまず「仰げば尊し」であった。中学三年の時、国語の授業で先生が「お前達今、歌の練習してるだろう。あおげばとおとし、の最後、いまこそわかれめ、って歌詞があるね。わかれめって、分かれ目(と板書)こうだと思ってないか?」え、ちがうの。少なくとも私はそう思っていた。「文法でやったな、係り結び。こそ(係助詞)+め(意志の助動詞、む、の已然形)。今こそ別れよう、いざさらば」という説明を聞きながら、妙に感動した記憶がある。そして三十年近く、仰がれることはなくても卒業式に出席し続けて現在に至る。たいてい式も終盤、ピアノ伴奏に合わせて広い講堂にゆっくりと響く卒業歌。生の音は、空気にふれるとすっと溶ける。歌が終わって少しの間(ま)、そして卒業生退場。その後ろ姿を拍手で見送る時、心の中にあるのは、喜びや悲しみをこえた静けさのようなものである。そして今年もこの季節がめぐってきた。別れて忘れて、また新しい出会いがある。後は風、たった五音が深い余韻となって響く。『俳句歳時記・春』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


March 2232008

 ジプシーの馬車に珈琲の花吹雪

                           目黒はるえ

ラジル季寄せには、春(八月、九月、十月)の項に、花珈琲(はなカフェー)とあるので、この句の場合も、珈琲(カフェー)の花吹雪、と読むのだろう。なるほどその方が上五とのバランスも調べもよい。前出の季寄せには「春の気候となり雨が大地を潤すと、珈琲樹は一斉に花を開く」とある。残念ながら、珈琲の花は写真でしか見たことがないが、白くてかわいらしい花で、その花期は長いが、一花一花はほんの二、三日で散ってしまうという。広大な珈琲園が春の潤いに覆われる頃、珈琲の花は次々に咲き、次々に散ってゆく。ジャスミンに似た芳香を放ちながら、ひたすら舞いおちる花の中を、ジプシーの馬車が遠ざかる。やがて馬車は見えなくなって、花珈琲の香りと共に残された自分が佇んでいる。花吹雪から桜を思い浮かべ、桜、日本、望郷の念、と連想する見方もあるかもしれない。けれど、真っ白な花散る中、所在を点々とするジプシーを見送るのは、ブラジルの大地にしっかりと立つ作者の強い意志を持った眼差しである。あとがきに(句集をまとめるきっかけは)「三十五年振りの訪日」とある。〈春愁の掌に原石の黒ダイヤ〉〈鶏飼ひの蠅豚飼ひの蠅生る〉など、ブラジルで初めて俳句に出会って二十七年、遠い彼の地の四季を詠んだ句集『珈琲の花』(1963)。(今井肖子)


March 2932008

 もう少し生きよう桜が美しい

                           青木敏子

しいものを美しいと詠むのは、できそうでできない。美しい、と言ってしまわないでその美しさや感動を詠むようにと言われたりもする。その上この句の場合、好き嫌いは別として、美しいことは誰も異論がない桜である。桜が美しい、と言いきったこの句のさらなる眼目は、もう少し、にある。あと何回この桜が観られるか、とか、桜が咲くたびに来し方を思い出す、といった桜から連想される思考を経ているのではない。目の前の満開の桜の明るさの中にいるうちに、ふと口をついて出た心の言葉だろう。今を咲く桜は、咲き満ちると同時に翳り始め、散ってゆく。それでも目の前の桜はいきいきと輝いて、作者に素直な感動と力を与えた。何回も繰り返して読んでいるうち、考えて作ったのではなく感じて生まれたであろうこの句の、もう少し生きよう、という言葉がじんわりしみてくるのだった。今、咲き増えてゆく桜に、日毎細る月がかかっている。「短詩型文学賞」(「愛媛新聞」2007年12月15日付)所載。(今井肖子)


April 0542008

 囀や真白き葉書来てゐたる

                           浦川聡子

聞やダイレクトメール、事務連絡の茶封筒などに混ざって、葉書が一枚。白く光沢のある絵はがきの裏、宛名の文字は見慣れた友人のもので、旅先からの便りだろうか。白は、すべての波長の光線を反射することによって見える色というが、人間が色彩を感知するメカニズムについて、今さらのように不思議に思うことがある。数学をやりながら、数式や定理がさまざまな色合いをもって頭の中に浮かぶ、と言う知人がいた。どんな感覚なのか、残念ながら、私は色のついた数式を思い浮かべることはできない。どちらかといえば視覚人間、コンサートに行くより絵画展へ、句作の時もまず色彩へ視線がいくのだけれど。この句の作者は、音楽に造詣が深く、音楽にかかわる秀句が多いことでも知られており、視覚と聴覚がバランスよく句に働いている。メールが通信手段の主流となりつつある中、春風に運ばれてきたような気さえするその葉書に反射する光と、きらきらと降ってくる囀に包まれて、作者の中に新しいメロディーが生まれているのかもしれない。『水の宅急便』(2002)所収。(今井肖子)


April 1242008

 ふらここの影の止つてをりにけり

                           木村享史

らんこ、とは考えてみればまことにそのまんまな名前である。ポルトガル語に由来するなど、その語源は諸説あるようだが、ぶら下がって揺れる様子から名付けられたという気が確かにする。広辞苑で「ふらここ」と引くと、「鞦韆」の文字と共に「ぶらんこ。ぶらここ。しゅうせん。」と出る。他に、半仙戯、ゆさわり、など、さまざまな名前を持つぶらんこが春季である本意は、四月三日の鑑賞文で三宅さんが書かれているように、のどやかでのびやかな遊具としての特性からだろう。春休みの間は一日中揺れていたぶらんこ。新学期が始まった公園では、ぶらんこを勢いよく漕ぐにはまだ幼い子供達とその母親に、ゆっくりした時間が流れている。昼どき、ベンチで昼休みを過ごす人に春の日がうらうらと差す。その日ざしは、葉の出始めた桜の葉陰からこぼれ、ジャングルジムにシーソーに、そしてぶらんこに明るい影を落としている。たくさんの子供達に、時にはおとなに、その名の通り仙人になったような浮遊感を与え続けているぶらんこの、しんとした影。春昼を詠んで巧みである。『夏炉』(2008)所収。(今井肖子)


April 1942008

 春昼ややがてペン置く音のして

                           武原はん女

句の前に、小さく書かれている前書き。一句をなして作者の手を離れれば、句は読み手が自由に読めばよいのだが、前書きによって、作句の背景や心情がより伝わりやすい、ということはある。この句の場合、前書きなしだとどんな風に受け止められるのだろう。うらうらとした春の昼。しんとした時間が流れている。そこに、ことり、とペンを置く音。下五の連用止めが、この後に続く物語を示唆しているように感じられるのだろうか。ペンを置いたのは、作家大佛次郎。この句の作者、地唄舞の名手であった武原はん(はん女は俳号)の、よき理解者、自称プロデューサーであった。昨年、縁あってはん女の句集をすべて読む機会を得た。句集を年代を追って読んでいくというのは、その人の人生を目の当たりにすることなのだ、とあらためて知ったが、そうして追った俳人はん女の人生は、舞ひとすじに貫かれ、俳句と共にあった。日記のように綴られている句の数々。そんな中、「大佛先生をお偲びして 九句」という前書きがついているうちの最初の一句がこの句である。春昼の明るさが思い出として蘇る時、そこには切なさと共に、今は亡き大切な人への慈しみと感謝の心がしみわたる。〈通夜の座の浮き出て白し庭牡丹〉〈藤散るや人追憶の中にあり〉と読みながら、鼻の奥がつんとし、九句目の〈えごの花散るはすがしき大佛忌〉に、はん女の凛とした生き方をあらためて思った。『はん寿』(1982)所収。(今井肖子)


April 2642008

 春陰や眠る田螺の一ゆるぎ

                           原 石鼎

陰について調べていた。影、が光の明るさを連想させるのに対して、陰、はなんとなく暗さを思わせるので、抽象的なイメージを抱いていたらそうではなく、花曇り、とほぼ同義で、春特有の曇りがちな天候のことだという。花曇りが桜の頃に限定されるのに対して、春陰はその限りではないが、陰の字のせいか確かに多少主観的な響きがある。日に日に暖かさを増す頃、曇り空に覆われた田んぼの泥の中に、蓋をぴったり閉じて冬を越した田螺がいる。固い殻越しにも土が温んでくるのを感じるのか、じっと冬眠していた田螺は、まだ半分は眠りの中にありながらかすかに動く、なんてこともあるのではないかなあ、と作者自身、春眠覚めやらぬ心地で考えているのか。あるいは、ほろ苦い田螺和えが好物で、自ら田螺取りに行ったのか。いずれにしても、つかみ所なく広々とした曇天と、小さな巻き貝のちょっぴりユーモラスな様子が、それぞれ季語でありながらお互い助け合い、茫洋とした春の一日を切り取って見せている。『花影』(1937)所収。(今井肖子)


May 0352008

 一つづつ花の夜明けの花みづき

                           加藤楸邨

が人を惹きつける大きな理由は、下を向いて咲くからだ、と数日前テレビで誰かが言っていた。桜の花下に立った時、まさに花と対峙している心持ちになるのは、それもあるのだろうか。ふつう花というのは、太陽をもとめて空に向かって咲くのが一般的だという。花みずきは、萌えだした葉の間に、ひらひらとまさに空に向いて開く(実際の花は真ん中の緑の部分らしいが)。最寄り駅までの下り坂、花水木の並木道を十年以上ほぼ毎日歩いているが、新緑も紅葉も、赤い実も枯れ姿も、それぞれ趣があり、街路樹として四季折々楽しめる。でもやはり、真っ白な花が朝日をうけて咲き増えてゆく今頃が、最も明るく美しい。芽吹いてきたな、と思うと、花がちらほら見え、朝の日ざしに夏近い香りがし始めると、ほんとうに毎日輝きを増し、一本一本の表情がぐんぐん変わってゆく。この句を読んだ時、毎年目の当たりにしながらはっきりと言葉にし得なかった花みずきの本質が、はらっと目の前に表れたという気がした。特にこの一語が、というのではなく、五・七の十二音の確かさと詩情、一句から立ちのぼる香りが、まさに私の中にあった花みずきなのである。『俳句歳時記 第四版』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


May 1052008

 ぼたん切て気のおとろひしゆふべ哉

                           与謝蕪村

村には牡丹の佳句が少なからずある。〈牡丹散て打重りぬ二三片〉をはじめとして〈金屏のかくやくとして牡丹かな〉〈閻王の口や牡丹を吐んとす〉など。幻想的な句も多い蕪村だが、牡丹の句の中でも、閻王の句などはまさにその部類だろう。桜の薄紅から新緑のまぶしさへ、淡色から原色へ移ってゆくこの季節、牡丹は初夏を鮮やかに彩る花である。それゆえ牡丹を詠んだ句は数限りなく存在し、また増え続けており、詠むのは容易ではないと思いながら詠む。先日今が見頃という近所の牡丹寺に行った。小さいながら手入れが行き届き、正門から二十メートルほどの石畳の両脇にびっしり、とりどりの牡丹が満開である。そして、朝露に濡れた大輪の牡丹と対峙するうちに、牡丹の放つ魔力のようなものに気圧され始めた。それは美しさを愛でるというのを通りこし、私が悪うございましたといった心持ちで、半ば逃れるように牡丹寺を後にしたのだった。掲出句、丹精こめた牡丹が咲き、その牡丹に、牡丹の放つ妖気に気持ちがとらわれ続けている。そんな一日を過ごして、思い切ってその牡丹を切る。そのとたんに、はりつめていた作者自身の気もゆるんでしまった、というのだろう。牡丹にはそんな力が確かにある。おとろひし、は、蕪村の造語ではないか(正しくは、おとろへし)と言われている。『與謝蕪村句集 全』(1991・永田書房)所載。(今井肖子)


May 1752008

 器ごと光つてをりぬさくらんぼ

                           小川みゆき

桜の間に、小さい桜の実がついている。熟すと赤紫になり舗道を染めたりするが、桜桃(おうとう)、いわゆるさくらんぼは、桜の実とは異なり、西洋実桜の実。昔は、桜の木にさくらんぼがならないのはなぜ?と思っていたが。その名の由来は、桜ん坊から来たとか、さくらももの転訛など諸説ある。桜桃は、ゆすらうめとも読むが、ゆすらうめというと子供の頃摘んでは食べた、赤褐色の小さな粒と甘酸っぱくて心持ちえぐい味がよみがえる。さくらんぼを摘んで食べる、という経験はなかったのだが、昨年、初めてさくらんぼ狩りというのを体験した。かなりの高木に、真っ赤な実が驚くほどたわわに実っているのを、次々とって食べる。天辺の方の、お日さまに近いところになっている実の方が甘いので、脚立で木に登る。この木の方が甘い、こっちの方が大粒、などと大のおとな達が夢中になった。そんなさくらんぼだが、かわいらしい名前と色や形に反して、果物としては高価である。きれいに洗って、ガラスの器に盛られたさくらんぼ。食べるのがもったいないような気分になってしばし眺めている。つやつやとした赤い実一つ一つについた水滴と器に初夏の日ざしが反射して、こんもりと丸い光のオブジェのようである。先だって、さくらんぼカレーというのが思いのほか美味、と聞いた。それこそもったいないような食べてみたいような。同人誌「YUKI」(2008・夏号)所載。(今井肖子)


May 2452008

 径白く白夜の森に我をさそふ

                           成瀬正俊

本では体験できないが、白夜は夏季。白夜(はくや)とルビがあり、調べると、びゃくや、が耳慣れていたが、本来は、はくや。「南極や北極に近い地方で、それぞれの夏に真夜中でも薄明か、または日が沈まない現象」(大辞林・第二版)とある。地軸が公転面に対して、23.4度傾いていることから、緯度が66.6度近辺より高い地域で起こる現象だが、理論はさておき、どことなく幻想的である。東山魁夷の「白夜光」は、彼方の大河をほの白く照らす薄明と、手前に広がる河岸の森の深緑が、見たことのない白夜のしんとした広がりを目の当たりにさせる。掲出句を含め四句白夜の句があり、作者も北欧へ旅したのだろう。北緯60度位だと、北から上った太陽は、空を一周して北に沈むという。そして地平線のすぐ下にある太陽は、大地に漆黒の闇をもたらすことはない。それでもどこか暗さを秘めている森に続く道、まるで深海にいるかのような浮遊感にとらわれるという白夜の森へ、作者は迷い込んで行ったのだろうか。ノルウェーのオスロ(北緯60度)の、5月24日の日の入りは午後8時20分、5月25日の日の出は午前2時14分で、夏至をほぼ一ヶ月後に控え、そろそろ白夜の季節を迎える。『正俊五百句』(1999)所収。(今井肖子)


May 3152008

 叩きたる蠅の前世思ひけり

                           小松月尚

といえば、むしむしし始めた台所にどこからともなく現れて、そこにたかるんじゃない、というところにちゃっかり止まるので、子供の頃は、できた料理にたかりそうになる蠅を追い払うのもお手伝いのひとつだった。強い西日をうけてさらにぎとぎと光る蠅取り紙も、蚊取り線香の匂いや、色よく漬かった茄子のおしんこのつまみ食いなどとともに、夏の夕暮れ時の台所の思い出である。そんな蠅だが、最近はめっきり見かけなくなった。先日玄関先で久しぶりに遭遇、あらお久しぶりという気分だったが、昔は、とにかくバイ菌のかたまりだ、とばかり思いきり叩いた。同じように叩いてしまってから、ふとその前世を思っている作者である、真宗大谷派の僧であったと知ればうなずけるのだけれど。蠅の前世、という表現は少し滑稽味を帯びながら、作者の愛情深い視線と、飄々とした人柄を感じさせる。句集の虚子の前書きの中には「総てを抛(な)げ出してしまつて阿彌陀さまと二人でゐる此のお坊さんが好きであります。」という一文があり、その人となりを思う。『涅槃』(1951)所収。(今井肖子)


June 0762008

 緑蔭や光るバスから光る母

                           香西照雄

を一読する時間というのは、ほんの数秒、ほとんど一瞬である。そこで瞬間の出会いをする句もあれば、一読して、ん?と思い、もう一回読んでなるほどとじんわり味わう句もある。時には、あれこれ調べてやっと理解できる場合も。この句は、一読して、情景とストーリーと作者の思いが心地良く伝わってきた。緑蔭は、緑濃い木々のつくる木陰。そこで一息ついた瞬間、木陰を取り囲む日差し溢れる風景が、ふっと遠ざかるような心持ちになるが、緑蔭のもつ、このふっという静けさが、この句の、光る、のリフレインを際だたせている。作者は緑蔭のバス停にいるのか、それとも少し離れた場所で佇んでいるのか。バスの屋根に、窓ガラスに反射する太陽と、そのバスから降りてくる母。まず、ごくあたりまえに、光るバス、そして、光る母。光る、という具体的で日常的な言葉が、作者の心情を強く、それでいてさりげなく明るく表現している。『俳句歳時記第四版・夏』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


June 1462008

 もの言はず香水賣子手を棚に

                           池内友次郎

田男に、〈香水の香ぞ鉄壁をなせりける〉の句がある。ドレスアップして汗ひとつかいていない美人。まとった香水の強い香りが、彼女をさらに近寄りがたい存在にしているのだろうか。昨今は、汗の匂いの気になる夏でも、そこまで強い香水の香りに遭遇することはほとんどないが、すれ違いざまに惹かれた香りの記憶がずっと残っていたりすることはある。この句は昭和十二年作、「銀座高島屋の中を歩き回った」時詠んだと自注がある。その頃の売り子、デパートガールは、今にも増して女性の人気職業だったというから、まだ二十代の友次郎、商品よりもデパートガールについ目が行きがちであったことだろう。客が香水の名前を告げると、黙って棚のその商品に手を伸ばす彼女。どこに何が置いてあるか熟知しており、迷う様子はない。友次郎は、彼女のきりっとした横顔に見惚れていたのかもしれない。そして、後ろにある棚に伸ばした二の腕の白さに、振り向きざまに見えた少しつんとした表情に、冷房とはまた違った涼しさを感じたのだろう。香水そのものを詠んでいるわけではないけれど、棚に手を伸ばすのは、やはり香水売り子がぴたっとくる。『米壽光来』(1987)所収。(今井肖子)


June 2162008

 しんしんと離島の蝉は草に鳴く

                           山田弘子

京は今梅雨真っ盛りだが、昨年の沖縄の梅雨明けは六月二十一日、今年はもう明けたという。梅雨空は、曇っていても、雨が降っている時でさえ、なんとなくうすうす明るい。そんな空をぼんやり見ながら、その向こうにある青空と太陽、夏らしい夏を待つ心持ちは子供の頃と変わらない。東京で蝉が鳴き始めるのは七月の梅雨明け前後、アブラゼミとニイニイゼミがほとんどで、うるさく暑苦しいのだが、それがまた、こうでなくちゃとうれしかったりもする。この句の蝉は、草蝉という草むらに棲息する体長二センチほどの蝉で、離島は、宮古島だという。ずいぶんかわいらしい蝉だなあと思い、インターネットでその鳴き声を聞いてみた。文字で表すと、ジー、だろうか。鳴き始めるのは四月で、五月が盛りというからもう草蝉の時期は終わっているだろう、やはり日本は細長い。遠い南の島の草原、足元から蝉の声に似た音が立ちのぼってくる。聞けば草に棲む蝉だという。いち早く始まっている島の夏、海風に吹かれ、草蝉の声につつまれながら佇む作者。しんしんと、が深い情感を与えている。句集名も含め、蝉の字は、虫偏に單。『草蝉』(2003)所収。(今井肖子)


June 2862008

 蚊遣香文脈一字にてゆらぐ

                           水内慶太

年ぶりだろう、金鳥の渦巻蚊取線香を買ってきた。真ん中の赤い鶏冠が立派な雄鳥と、青地に白い除虫菊の絵柄が懐かしい。緑の渦巻の中心を線香立てに差し込んで火をつける。蚊が落ちる位なのだから、人間にも害がないわけはないな、と思いながら鼻を近づけて煙を吸ってみる。記憶の中の香りより、やや燻し臭が強いような気がするが、うすい絹のひものように立ち上っては、ねじれからみ合いながら、夕暮れ時の重い空気に溶けてゆく煙のさまは変わらない。長方形に近い断面は、すーと四角いまま煙となり、そこから微妙な曲線を描いてゆく。作者は書き物をしていたのか、俳句を詠んでいたのか、考えることを中断して外に目をやった時、縁側の蚊取り線香が視野に入ったのだろうか。煙がゆらぐことと文脈がゆらぐことが近すぎる、と読むのではなく、蚊を遣る、という日本古来の心と、たとえば助詞ひとつでまったく違う顔を見せる日本語の奥深さが、静かな風景の中で響き合っている気がした。〈海の縁側さくら貝さくら貝〉〈穴を出て蜥蜴しばらく魚のかほ〉〈星祭るもつとも蒼き星に棲み〉など自在な句がちりばめられている句集『月の匣(はこ)』(2002)所収。(今井肖子)




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