NTT光回線貸出料、初値下げへ。でも、我々一般消費者には反映しないのだ。(哲




2008N110句(前日までの二句を含む)

January 1012008

 寒星や神の算盤ただひそか

                           中村草田男

たい空気に冴え冴えと光る寒星。星と星が触れればグラスとグラスがかち合う硬質の響きをたてそうだ。だが、そんな想像とは関係なく冬の夜空は星座の配列をくっきりと際立たせている。「算盤(そろばん)」は珠(たま)枠(わく)芯(しん)で構成されている。普段の計算道具は電卓にとってかわられたけど、あの細長くコンパクトな外見からは考えられないくらい大きな桁の加減乗除をこなす。珠の動かしかたをろくに知らない私にとっては無用の長物だったけど、算盤に優れた友達を見るたび羨ましくてしかたなかった。珠を繰るその速さと正確さもそうだけど、目の前に算盤がなくとも指先を少し動かすだけであっというまに暗算をやってのけるのが格好よかった。掲句は「神の算盤」と桁外れにスケールが大きい。この「算盤」は形としては三ツ星などを想像させるが、その背後で天体の運行を支配する大いなる意志をも表現しているのだろう。算盤は軽快に珠をはじいてこその道具。それを「ひそか」と形容することで本来算盤が持っている神秘的な性格を寒星の動きに重ね合わせて連想させる。草田男の句は眼前の事象を手掛かりに遥かな時空へと読み手の心を広げてくれるようだ。『銀河依然』(1953)所収。(三宅やよい)


January 0912008

 古今亭志ん生炬燵でなまあくび 

                           永 六輔

草は過ぎたけれども、今日あたりはまだ正月気分を引きずっていたい。そして、もっともらしい鑑賞もコメントも必要としないような掲出句をながめながら、志ん生のCDでもゆったり聴いているのが理想的・・・・・本当はそんな気分である。いかにも、どうしようもなく、文句なしに「志ん生ここにあり」の図である。屈託ない。炬燵でのんびり時間をもてあましているおじいさま。こちらもつられてなまあくびが出そうである。まことに結構な時間がここにはゆったりと流れている。特に正月の炬燵はこうでありたい。志ん生(晩年だろうか?)に「なまあくび」をさせたところに、作者の敬愛と親愛にあふれた志ん生観がある。最後の高座は七十八歳のとき(1968)で、五年後に亡くなった。高座に上がらなくなってからも、家でしっかり『円朝全集』を読んでいたことはよく知られている。一般には天衣無縫とか豪放磊落と見られていたが、人知れず研鑽を積んでいた人である。永六輔は「東京やなぎ句会」のメンバーで、俳号は六丁目。「ひょんなことで俳句を始めたことで、作詞家だった僕は、その作詞をやめることにもなった」と書く。言葉を十七文字に削ると、作詞も俳句になってしまうようになったのだという。俳句を書いている詩人たちも、気を付けなくっちゃあね(自戒!)。矢野誠一の「地下鉄に下駄の音して志ん生忌」は過日、ここでとりあげた。六丁目には「遠まわりして生きてきて小春かな」という秀句もある。『友あり駄句あり三十年』(1999)所載。(八木忠栄)


January 0812008

 人といふかたちに炭をつぎにけり

                           島 雅子

生時代に通っていた茶道の「炭手前」をおぼろげに覚えている。釜の湯を湧かすために熾す炭の姿にまで、美しい手順があるのに驚いたことや、「ギッチョ、ワリギッチョ」と、なにやら呪文めいた言葉とともに何種類かの炭を交互についだことなど、ひとつ思い出せば不思議なほど次々と所作がよみがえる。あの謎の言葉は一体なんだったのだろう。「炭の増田屋オンラインショップ」によると「丸毬打(まるぎっちょ)、割毬打(わりぎっちょ)。道具炭。割毬打は丸毬打を半分に割ったもの」と、あっさり判明した。音で覚えていたものに、文字で出会うと唐突によそよそしくなってしまうものだ。しかし、掲句で使われる「人」という文字は、なんともあたたかい。それは、手元につぐ炭の一本にもう一本を寄り添わせて置いてみたところ「まるで人という字」という発見が、まさに文字そのもののなりたちや、その心根にもつながる喜びと温みを伴いながら読み手に無理なく伝わるからだろう。芯にちらつく火種が、ほの明るく灯る魂のように見え、それを眺める作者の頬をやわらかく照らしている。上手に火が熾ることだけを祈りながら炭に向かい合っていた頃を思い出し、「ギッチョワリギッチョ」ともう一度つぶやいてみる。〈蛇打たれもつとも人に見られけり〉〈和紙に置く丹波の栗と栗の翳〉『土笛』(2007)所収。(土肥あき子)




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