2008N112句(前日までの二句を含む)

January 1212008

 息白くうれし泪となりしかな

                           阿部慧月

よいよ寒さの増すこの時期、朝、窓を開けて吐いた息が、そのまま目の前で白く変わってゆくのを見るのは、寒いなあと感じると同時に、どこか不思議な気分になる。ふだんは目に見えないものが見えるからだろうか。先日、人であふれかえる明治神宮で、中国人の一団が大きい声で話しながら歩いているのに遭遇。早口の中国語は、鳥語よりもわからないくらいだったが、次々に飛び出す言葉はみるみる白い息となり、混ざり合って消えていった。この句の白い息は、うれし泪になった、という。遠くから、作者に向かって誰かが走って来る。何かとてもうれしいことがあって、それを一刻も早く伝えたかったのか、ただただ作者に会いたかったのか。そして、無言のまま弾んでいる息は、何か言いたげに、白く白く続けざまに出てくるのだが言葉にならない。そのうち、言葉よりも先にうれし泪があふれ出てきたのである。もちろん、息白く、で軽く切れているのであり、息が泪になったわけではないが、言葉よりも先に瞳からあふれ出た感情が、白い息によって、強く読み手に伝わってくる。泪は、涙と同じだが、さんずいに目、という直接的な字体が、なみだをより具体的に感じさせる。『帰雁図』(1993)所収。(今井肖子)


January 1112008

 現身の暈顕れしくさめかな

                           真鍋呉夫

つしみのかさあらはれしくさめかなと読む。暈は、太陽や月の周辺に現れる淡い光の輪のこと。くしゃみをした瞬間、その人の体の周辺に暈が茫と出現した。くしゃみだからこそ、生きてここに在ることの不思議と有り難さと哀しみが滲む。六十年代のテレビ映画の「コンバット」は一話完結の戦争物として一世を風靡したが、その一話に、戦友の姿が曇って見えると必ずその人が戦死することに気づいた兵士の話があった。兵士は次第に自分の能力が怖くなる。ある日鏡に映った自分の姿が曇って見える。その日は前線から後方へ移動する日で、みなこの兵士を羨んだが、兵士は移動の途中地雷でジープごと吹っ飛ぶ。この話の「曇り」は仕掛けもオチもあるけれど、この句の暈は感覚が中心で、理屈で始末のつくオチがない。どこか生と死の深遠に触れている怖ろしさがある。くさめというおかしみを通して存在の深遠に触れる。こういうのを俳諧の本格というのだろう。『定本雪女』(1998)所収。(今井 聖)


January 1012008

 寒星や神の算盤ただひそか

                           中村草田男

たい空気に冴え冴えと光る寒星。星と星が触れればグラスとグラスがかち合う硬質の響きをたてそうだ。だが、そんな想像とは関係なく冬の夜空は星座の配列をくっきりと際立たせている。「算盤(そろばん)」は珠(たま)枠(わく)芯(しん)で構成されている。普段の計算道具は電卓にとってかわられたけど、あの細長くコンパクトな外見からは考えられないくらい大きな桁の加減乗除をこなす。珠の動かしかたをろくに知らない私にとっては無用の長物だったけど、算盤に優れた友達を見るたび羨ましくてしかたなかった。珠を繰るその速さと正確さもそうだけど、目の前に算盤がなくとも指先を少し動かすだけであっというまに暗算をやってのけるのが格好よかった。掲句は「神の算盤」と桁外れにスケールが大きい。この「算盤」は形としては三ツ星などを想像させるが、その背後で天体の運行を支配する大いなる意志をも表現しているのだろう。算盤は軽快に珠をはじいてこその道具。それを「ひそか」と形容することで本来算盤が持っている神秘的な性格を寒星の動きに重ね合わせて連想させる。草田男の句は眼前の事象を手掛かりに遥かな時空へと読み手の心を広げてくれるようだ。『銀河依然』(1953)所収。(三宅やよい)




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