mN句

January 1512008

 ごみ箱を洗って干してあっ風花

                           薮ノ内君代

五の「あっ風花」は作者のひとりごと。家庭の主婦はまず一日の天気を把握してから本日の家事一切のメニューを組み立てる。わたしのようなぐうたら者でさえ、輝く朝日を浴びたときには、布団も干したい、シーツも洗いたい、ところで猫を洗ったのは一体いつ!?などと考える。まるで人間の身体のどこかにソーラーパネルのようなものが埋め込まれていて、太陽の光にどん欲に反応しているかのようだ。掲句の日和はいたって上々。いつものメニューをこなしたあと、「たまにはごみ箱でも洗おうかしら」と思うくらいのお天気だったに違いない。大物を洗って、とっておきの日向に干して、そしてようやく人心地となったとき、青空から降るプレゼントのような風花に気がつく。雲ひとつない空からきらきらと風花が舞う不思議は、遥か遠くに降った雪が風に乗って届くのだという。風花に気づいた彼女は、ソーラーパネルを全開にして、空からの便りを読み取るのだろう。「ヤマノムコウハ雪デスヨ」。それじゃ、熱い紅茶でも入れてひと休みでもしましょうか。いそいそとパネルをたたんで、あたたかいリビングへと入っていく。〈さくらさくらただ立ち止まってみるさくら〉〈クローバー大人になって核家族〉『風のなぎさ』(2007)所収。(土肥あき子)


October 23102008

 省略がきいて明るい烏瓜

                           薮ノ内君代

ことに省略のきいたものは明るい輝きを持っている。俳句もしかり、さっぱりと片付けた座敷も。ところで秋になると見かける烏瓜だけど、あれはいったいどんな植物のなれの果てなのだろう。気になって調べてみると実とは似ても似つかない花の写真が出てきた。白い花弁の周りにふわふわのレースのような網がかかった美しい花。夏の薄暮に咲いて昼には散ってしまうという。「烏瓜の花は“花の骸骨”とでも云った感じのするものである。遠くから見る吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようでもある。」と寺田寅彦が『烏瓜の花と蛾』で書いている。烏瓜というと、秋になって細い蔓のあちらこちらに明るい橙色を灯しているちょうちん型の実しかしらなかったので、そんな美しい経歴があろうとは思いもよらなかった。実があるということはそこの場所に花も咲いていたろうに、語らず、誇らず枯れ色の景色の中につるんと明るい実になってぶら下がっている。省略がきいているのはその形だけではなかったのね。と烏瓜に話しかけたい気分になった。『風のなぎさ』(2007)所収。(三宅やよい)


April 1642009

 たんぽぽの井戸端会議に参加する

                           薮ノ内君代

休みに会社のまわりを散歩していると古いビルを取り壊した更地のあちこちにたんぽぽが咲いているのが目につく。すぐに駐車場や新しいビルの工事が始まる短い間だけど、地面があれば明るく黄色い花を咲かせ白い綿毛にのせて種を飛ばすのだろう。本当にたくましくて、可愛い花だ。「たんぽぽの」の「の」に軽い切れを含ませて二句一章で読むと、たんぽぽは後景に退いて、道端に集まっている井戸端会議に作者が参加しているともとれる。私としては群がって咲いているたんぽぽの井戸端会議に自分もたんぽぽになって参加していると想像するのが楽しい。春だもの。ぽかぽかと暖かい野原にうとうと居眠りしているうちにたんぽぽになってしまうかもしれない。意外なところにひょいと非日常への出入り口ができる。その言葉の扉を探すのも俳句を読む楽しみの一つだろう。『風のなぎさ』(2007)所収。(三宅やよい)




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