January 162008
絵の家に寒燈二ついや三つ
岡井 隆
季語には「春燈」や「秋燈」があって「冬燈=寒燈」もある。寒さのなかの燈火が冴え冴えとともっている。絵に描かれた寒々とした一軒家にともる燈が、二つ三つかすかに見えているというのだろう。「絵の家」は「絵を飾ってある家」とは解釈したくないし、それでは無理がある。日本画でも洋画でもいいだろうけれど、隆は家がぽつりと描かれた絵を前にしている。その家の二つほどの窓にあかりがともっている。いや、よく見ると三つである――そんな絵が見えてくる。この句では「いや三つ」の下五がうまくきいている。いきなり「二つ三つ」と詠んでは陳腐に流れてしまう。歌人・岡井隆は詩も俳句も作る。先ほど手もとに届いた「現代詩手帖」1月号に隆は密度の高い散文詩を書いている。掲出句は1994年1月に、三橋敏雄、藤田湘子、小澤實、大木あまり他との御岳渓谷の宿での句会で投句されたうちの一句で、三人が選んだ。その席では「かわいーなー」とか「絵の家が見えてこない」などといった感想が出された。場所が場所であるだけに、川合玉堂の絵だったのかもしれない。(すぐそばに川合玉堂美術館がある。)このままだと、確かに「絵の家」がはっきり見えてこないかもしれない。しかし、七七を付けて短歌にしたら、「絵の家」はくっきり彫りこまれるのではあるまいか。そんな勝手な想像は、この際許されないのだろうが。加藤楸邨の句「子がかへり一寒燈の座が満ちぬ」を想う。小林恭二『俳句という愉しみ』(1995)所載。(八木忠栄)
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