東京に雪の予報が出ています。とにかく寒い日がつづいています。明日は大寒。(哲




2008ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2012008

 冬の雨下駄箱にある父の下駄

                           辻貨物船

関脇の、靴を収納する場所を今でも「下駄箱」というのだなと、この句を読みながら思いました。わたしが子供の頃には、それでも下駄が何足か下駄箱の中に納まっていました。けれど、マンションに「下駄箱」とは、どうにも名称がしっくりいきません。下駄というと、「鼻緒をすげる」というきれいな日本語を思い浮かべます。「すげる」というのは「挿げる」と書いて、「ほぞなどにはめ込む」という意味です。「ほぞ」という言葉も、なかなか美しくて好きです。さて掲句、たえまなく降り続く冬の雨から、玄関の引き戸を開けて、視線は薄暗い下駄箱に向かいます。その一番上の棚に、父親の大きな下駄がきちんと置かれています。寒い湿気が玄関の中に満ち、しっとりとした雰囲気を感じることができます。句は、父の下駄が下駄箱の中にあると、そこまでしか言っていません。しかしわたしにはこれが、「父の不在」を暗示しているように読めてしまいます。勝手な想像ですが、この家の主はもう亡くなっているのかもしれません。それでも日々履いていた下駄だけは、下駄箱のいつもの場所に置いておきたいという思いが込められているように感じるのです。この世の玄関に、その人がふっともどってきたときに、すぐに取り出せるように。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)


January 1912008

 ヴァンゴッホ冷たき耳を截りにけり

                           相生垣瓜人

ッホが自らの耳を傷つけたのは1888年、クリスマスもほど近い12月23日。太陽をもとめて移り住んだ南仏の町アルルで、当時同居し、制作活動を共にしていたゴーギャンとの激しい諍いの果てであったという。春の水に映る跳ね橋、星月夜のカフェ、真夏の太陽そのものの輝きを放つひまわり。ゴッホは、アルルに滞在した四百日余りで、油絵、素描合わせて三百枚以上を描いたといわれている。掲句、実際は耳たぶの先をきり落としたのだというから、切る、ではなく、裁つ、きり離す、の意のある、截る、なのだろう。比較的いつもひんやりしている耳たぶだが、寒さがつのる冬には、ことさらその冷たさが際だつ。作者は、そんな感覚を失ってちぎれそうな自分の耳たぶに触れ、ふとゴッホに思いをはせたのだろうか。右手にカミソリを持ったゴッホが、左手で思わず掴んだ自らの耳たぶ。それは、やわらかくたよりなく、まるで自分自身の弱さの象徴のように思えたのかもしれない。冷たし、にある悲しみは、熱い血となって、その傷口から流れ出たことだろう。この後、ゴーギャンはタヒチに移り住み、ゴッホは1890年、三十七年の生涯を自らの手で閉じたのだった。『新日本大歳時記』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


January 1812008

 日のあたる硯の箱や冬の蠅

                           正岡子規

の句に日野草城の「日の当る紙屑籠や冬ごもり」を並べて「日のあたる」二句の比較を楽しんでいる。二句とも仰臥の位置からの視線であるところが共通点。二人とも長い病の末結核で世を去った。両者とも日常身辺の限られた範囲の中で、視覚的な物象に句材を得ている。二句の違いというか、それぞれの特徴として、僕は子規の「眼」の凝視の力と、草城のインテリジェンスを思う。子規が見出した「写生」という方法は、生きて在ることの実感を瞬間瞬間の「視覚」によって確認することが起点となっている。子規が詠んだ有名な鶏頭の句も糸瓜の句も、季題の本意や情趣がテーマではなく視覚の角度やそこに乗せる思いがテーマ。この句でも冬の蠅を凝視する子規の「眼」に子規自身の「生」が刻印されているような感じがする。何気ない枕もとの日のあたる硯箱が背景になっていることがさらに鬼気迫るほどのリアリティを見せている。一方、草城の句は、冬ごもり、書き物、反古、紙屑籠という一連の理詰めの連想が起点となっている。つまり草城は自己の病臥の状態から句を詠んでも季題の本意を忘れず、俳諧を意識し、フィクションを演出する。そこに「知」を強烈に働かせないではいられない。「新興俳句」の原動力となった所以である。『日本大歳時記』(1981・講談社)所載。(今井 聖)




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