雑誌の仕事で誤植が最も辛い。まず、誤植の無い号はない。あんなに見たのに。(哲




2008ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012008

 悔もちてゆく道ほそし寒椿

                           村野四郎

ゆえの「悔(くい)」なのかはわからない。けれども、よほどずしりと重たく身にこたえるような「悔」なのであろう。自分がかかえてしまった「悔」の大きさに比べて、自分が今たどる道はあまりに細く、頼りなく感じられるのであろう。道に沿って咲いている寒椿が、かろうじてポッとかすかな慰めのように感じられるが、身も心もやはり寒々しい。寒椿は言うまでもなく寒中に咲く花で、冬椿とも呼ばれる早咲きの椿である。掲出句からは、どうしようもなくひっそりと淋しげに咲いている寒椿の気配が伝わってくる。「悔もちてゆく」身には、その気配がいっそうせつなく感じられる反面、かすかな慰めにもなっているのであろう。敗戦後、「風船句会」という詩人たちの句会があり、四郎がその句会に出席したときに作ったものであり、「食器洗ふおとも昏れをり寒椿」という一句もならんでいる。句会の常連メンバーは田中冬二、城左門、安藤一郎をはじめ、顔ぶれはだいたい戦中に解散した「風流陣」という俳句誌に寄っていた詩人たちだった。四郎は当時、「現代詩としての俳句」というエッセイを「新俳句」誌に発表したりして、俳句に対する造詣が深かった。その詩には、俳句に打ちこんだ者のセンスがしっかり生きている。彼はすでに大正末期に俳句誌「層雲」に数年属していたことがあり、「私は詩人になる前に俳人であった」と明言している。自由律俳句から自由詩へ移行した珍しいケースと言えよう。しかし、四郎には句集は一冊もない。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


January 2912008

 春待つや愚図なをとこを待つごとく

                           津高里永子

辞苑の「愚図(ぐず)」の項は、「動作がにぶく決断の乏しいこと。はきはきしないこと。またそういう人」と、まるで役に立たぬ人のようにばっさり斬られている。しかし「ぐず」という日本語には、ことに女性が異性に対して言葉に出す場合には、単に侮蔑だけではなく、「宿六」などと同じ甘やかなのろけも多少含まれる。この語感の、のんびりとしたぬくみが、春待ちの気分と掲句をしっくり結びつけているところだろう。春が訪れるまでの三寒四温。あたたかかったり寒かったり、せっかちのわたしなどは「一体今日はどっちなの」と、どこに向けるともなく八つ当たりしてしまうのだが、これを「愚図な男」と形容したところにも、待つ側の余裕や貫禄が感じられ、おおらかに心地良い。まだまだ寒い日が続くが、日脚は着実に伸びている。ぐずで一途ゆえに切ないまでに魅力的な男、といえば思いっきりベタではあるけれど山本周五郎の『さぶ』でも読んで、今年はのんびり春を待とうかと思う。〈見えてくる綿虫じつとしてゐれば〉〈仕事しに行くかマフラー二重巻〉『地球の日』(2008)所収。(土肥あき子)


January 2812008

 今宵炉に桜生木も火となりぬ

                           吉田汀史

者に聞いたわけではないが、この句は謡曲「鉢木(はちのき)」を踏まえていると思う。私くらいの年代から上の人なら、誰もが知っている有名な伝説だ。「鉢木」とは盆栽である。ある大雪の夜、旅僧に身をやつした北条時頼が、上野国佐野で佐野源左衛門常世のもとに宿を求めた。貧乏な常世は何ももてなすものがないので、大事にしていた盆栽の梅・桜・松を惜しげもなく焚いて暖をとらせた。後に鎌倉からの召集に真っ先に駆けつけたとき(これが「いざ鎌倉」の語源)に、時頼から一夜のもてなしへの返礼として、梅・桜・松の名を持つ三つの土地を賜った、という話である。句の作者は、本当に桜の生木を燃やしたのだろう。そのときに、ふとこの話を思い出し、まさに「いざ鎌倉」的なたぎるものを身内に感じたのに違いない。生木は燃えにくい。が、いったん燃え出すと火勢が強く、その火照りは枯れ木の比ではない。だから「火となりぬ」というわけだが、故なくか故あってか、燃える生木の火照りさながらに、かっと身内に熱いものがたぎってくる感じが良く出ている。「合本俳句歳時記」(1987・角川書店)所載。(清水哲男)




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