村木良彦さんの死去を知らなかった。若き日の淡いつきあい……。合掌。(哲




2008ソスN1ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3112008

 山々をながめて親を手放す日

                           佐藤みさ子

きてゆく限り人間は一人。日々「家族」に囲まれて孤独を紛らわせていても、いつか親は子と別れ、子は老いた親を見送る日が来る。「手放す日」とは親との永遠の別れの日なのか、親を他所へ送り出す日なのか。いずれにせよ子供を独立させるのとは違うやるせなさが漂う。「山々をながめて」という何気ない行為が親を手放すという尋常ならざる出来事とつながっていることで日常に隠されている恐ろしさ、さびしさを際立たせる。俳句の季語のように共通普遍なイメージを喚起させる言葉の力学を用いない川柳は、普段の言葉で日常の深い裂け目を書いてみせる形式である。「味方ではないが家族が二、三人」「何ももう産まれぬ家に寝静まる」など、シニカルな視点で現代の家族の距離感や空白感が描かれている。親族の肩書きを持っていても心が離れれば近くにいて遠慮がないだけに致命的な戦いになってしまうこともある。ただならぬ関係のまま形だけ持続している家族だってあるだろう。いま、この世の中で家族とはどういう存在なのか。自らの身を時代の鏡にうつしだして語られる言葉は人が本来有している淋しさを感じさせるとともに私たちが身を置く人間関係の痛い部分に直に触れてくるようだ。『呼びにゆく』(2007)所収。(三宅やよい)


January 3012008

 悔もちてゆく道ほそし寒椿

                           村野四郎

ゆえの「悔(くい)」なのかはわからない。けれども、よほどずしりと重たく身にこたえるような「悔」なのであろう。自分がかかえてしまった「悔」の大きさに比べて、自分が今たどる道はあまりに細く、頼りなく感じられるのであろう。道に沿って咲いている寒椿が、かろうじてポッとかすかな慰めのように感じられるが、身も心もやはり寒々しい。寒椿は言うまでもなく寒中に咲く花で、冬椿とも呼ばれる早咲きの椿である。掲出句からは、どうしようもなくひっそりと淋しげに咲いている寒椿の気配が伝わってくる。「悔もちてゆく」身には、その気配がいっそうせつなく感じられる反面、かすかな慰めにもなっているのであろう。敗戦後、「風船句会」という詩人たちの句会があり、四郎がその句会に出席したときに作ったものであり、「食器洗ふおとも昏れをり寒椿」という一句もならんでいる。句会の常連メンバーは田中冬二、城左門、安藤一郎をはじめ、顔ぶれはだいたい戦中に解散した「風流陣」という俳句誌に寄っていた詩人たちだった。四郎は当時、「現代詩としての俳句」というエッセイを「新俳句」誌に発表したりして、俳句に対する造詣が深かった。その詩には、俳句に打ちこんだ者のセンスがしっかり生きている。彼はすでに大正末期に俳句誌「層雲」に数年属していたことがあり、「私は詩人になる前に俳人であった」と明言している。自由律俳句から自由詩へ移行した珍しいケースと言えよう。しかし、四郎には句集は一冊もない。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


January 2912008

 春待つや愚図なをとこを待つごとく

                           津高里永子

辞苑の「愚図(ぐず)」の項は、「動作がにぶく決断の乏しいこと。はきはきしないこと。またそういう人」と、まるで役に立たぬ人のようにばっさり斬られている。しかし「ぐず」という日本語には、ことに女性が異性に対して言葉に出す場合には、単に侮蔑だけではなく、「宿六」などと同じ甘やかなのろけも多少含まれる。この語感の、のんびりとしたぬくみが、春待ちの気分と掲句をしっくり結びつけているところだろう。春が訪れるまでの三寒四温。あたたかかったり寒かったり、せっかちのわたしなどは「一体今日はどっちなの」と、どこに向けるともなく八つ当たりしてしまうのだが、これを「愚図な男」と形容したところにも、待つ側の余裕や貫禄が感じられ、おおらかに心地良い。まだまだ寒い日が続くが、日脚は着実に伸びている。ぐずで一途ゆえに切ないまでに魅力的な男、といえば思いっきりベタではあるけれど山本周五郎の『さぶ』でも読んで、今年はのんびり春を待とうかと思う。〈見えてくる綿虫じつとしてゐれば〉〈仕事しに行くかマフラー二重巻〉『地球の日』(2008)所収。(土肥あき子)




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