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February 0422008

 書を校す朱筆春立つ思あり

                           柴田宵曲

春。と言っても、まだ寒い日がつづく。東京は、昨日の雪でまだ真っ白。立春の本意は「春の『気』が立つ」ということだから、気候的に春が訪れるというのではなく、とくに現代ではむしろ心理的な要因としての意味合いが濃い。活版時代の編集者の句だ。立春の句は自然や外界に目を向けた句が多いなかで、室内での仕事の「気」を詠んでいて、それだけでも珍しいと言えるだろう。実際、校正は砂を噛むような地道な仕事だ。私が編集者になりたてのころに、ベテランの校正マンから教わったのは「校正の時に原稿を読んではいけない。その原稿に何が書いてあるのかわからないところまで文字をたどることに徹しないと、校正は完璧にはできない」ということだった。作者もまたそのように文字を追っているのだろうが、今日から暦の上では春だと思うと、同じ朱筆を入れるのにもどこかこれまでとは違った「気」が乗ってくると言うのである。折しも今週からは「俳句界」の校正が忙しくなってくる。赤ペンを握りながら、たぶんこの句を思い出すのだろう。原稿を読んでは駄目だ。その言葉といっしょに。「合本俳句歳時記・第三版」(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


October 30102008

 朝寒の膝に日当る電車かな

                           柴田宵曲

中にあたる昼の日差しは汗ばむようだが、朝は厚めの上着がほしいぐらい冷え込むようになってきた。おそらくは通勤の膝に当たっている日差しをぼんやりと眺めているのだろう。昔の電車だから今のように暖房が完備されているわけはなく、木の床板や車窓の隙間から入ってくる風に身体をすくめながら膝にあたるかすかなぬくみに朝の寒さを実感している。そんな情景が想像される。作者の『古句を観る』(岩波文庫)はこのコーナーでもよく紹介される本だが、何度読んでも飽きない。元禄時代の無名俳人の句を取り上げているのだが、的をはずさない句の解釈もさることながら、簡潔で味わい深い文章の魅力に引きつけられる。広い教養に裏打ちされた作者の人柄が文章に反映しているのだろう。この本はしばらく絶版だったが、多くの読者の希望で復刊されたと聞く。宵曲は一時期ホトトギスに所属、丸ビルの事務所にも通っていたが、のちには寒川鼠骨を助けて『子規全集』を編集。その交遊のうちに俳句を続けたという。『虚子編季寄せ』(三省堂・1941)所載。(三宅やよい)




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