風邪がぶり返してしまった。加齢とともに復元力は衰える。トシはとりたくない。(哲




2008ソスN2ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0922008

 黒といふ色の明るき雪間土

                           高嶋遊々子

京に今週三度目の雪の予報が出ている。しかしまあ、降ったとしても一日限り、翌日は朝からよく晴れて、日蔭にうっすら青みを帯びた雪が所在なげに残っているものの、ほとんどがすぐ消えてゆくだろう。雪間とは、長い冬を共に過ごした一面の雪が解けだして、ところどころにできる隙間のことをいい、雪の隙(ひま)ともいう。雪間土とは、そこに久しぶりに見られる黒々とした土である。雪を掻いた時に現れる土は凍てており、まだ眠った色をしているのだろう。それが、早春の光を反射する雪の眩しさを割ってのぞく土の黒は、眠りから覚め、濡れて息づく大地の明るさを放っている。よく見ると、そこには雪間草の緑もちらほらとあり、さらに春を実感するのだろう。残念ながら、私にはそれほどの雪の中で冬を過ごして春を迎えた経験はないが、黒といふ色、という、ややもってまわった表現が、明るき、から、土につながった瞬間に、まるで雪が解けるかのような実感を伴った風景を見せてくれるのだった。「ホトトギス新歳時記」(1986・三省堂)所載。(今井肖子)


February 0822008

 雪の橋をヤマ去る一張羅の家族

                           野宮猛夫

宮猛夫。一九二三年北海道浜益村に八人兄弟の末っ子として生まれる。子供の頃は浜辺の昆布引きに加わり、尋常高等小学校卒業後、鰊船に乗る。鰊の不漁にともない、炭鉱に入る。炭鉱の落盤事故で死線をさまよい、脊椎を痛めたため川崎に出て、ダンプカーの運転に従事。俳句は、「青玄」、「寒雷」「道標」に拠り現在は「街」。一九五六年に「寒雷」に初投句で巻頭。そのときの句に「蛙けろけろ鉱夫ほら吹き三太の忌」「眉に闘志おうと五月の橋を来る」。これらは楸邨激賞の評を得た。生活の中から体ごと詩型にぶつけて作る態度である。労働のエネルギーはこの作家の場合は決してイデオロギーの主張にいかない。党派的なアジテーションや定番の宣伝画にはならない。原初のエネルギーで詩型が完結し昇華する。ヤマを去るときの家族の一張羅が切なくも美しい。上句の字余りがそのまま心情の屈折を映し出す。時代の真実も個人の真実もそこに刻印される。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


February 0722008

 少女まづ瞳の老いて雪まつり

                           櫂未知子

幌。と前書きがある。2月5日より始まったかの地の雪まつりは例年1月7日から雪の搬入が始まるそうだ。郊外から5トントラック6500台分の雪を大通り公園に運んで雪像を作るという。およそ1ヶ月間、札幌市民は運び込まれた大量の雪が雪像になってゆく過程を眼にするわけだ。札幌は大きな街で一区画の距離も長い。雪像を見て歩くだけで相当歩くことになるだろう。雪になれない観光客のために靴底につける滑り止めも売られていると聞く。この句では雪像を見上げる少女の生真面目な表情が印象的だ。少女の年齢はどのくらいなのだろう。小学五、六年になると男の子より一足先に女の子の身体が生育してゆく。表情もませてきて、教室でふざけすぎて先生から雷を落とされる男子を「ばかねぇ」と冷ややかに見ているのはたいてい女の子である。彼女らが男子を尻目に子供時代を一足先に抜け出るのはこの頃から生理が始まり自らの性を自覚させられることも大きいだろう。身体の秘密が彼女らを大人びさせる。掲句では少女の瞳が老いる。という意外な形容で、少女のまなざしに不思議な光を宿している。雪ばかり見つめているとまず瞳が老いる、と逆の因果関係からも読めてしまいそうだ。静かに佇む少女の黒目勝ちな瞳にうつる雪まつりはきっと、この世のものではない雰囲気を漂わせていることだろう。俳誌「里」(2006/3/09発行第36号)所載。(三宅やよい)




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