昨日の誕生日にたくさんの方よりお祝いのお言葉をいただきました。感謝感激。(哲




2008ソスN2ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1622008

 椿の夜あたまが邪魔でならぬかな

                           鳴戸奈菜

椿の花の時期は長いが、盛りは二月半ばから三月。花弁を散らしつつ、咲きながら散りながら冬を過ごす山茶花とは異なり、ぽたっと花ごと落ちるので、落椿という言葉もある。木偏に春は国字というが、あまり春の花という印象が強くない気がするのは、その深緑の葉の硬質な暗さや、春風を感じさせることのない落ち方のせいだろうか。それにしても掲句、あたまが邪魔なのだという。ひらがなの、あたま、は、理性、知性、思慮分別。もっと広く、本能以外のものすべてであるかもしれない。ものみな胎動し始める早春の闇に引きこまれるように、本能のおもむくままでありたい自分と、そんな一瞬にも、椿の一花が落ちる音をふと聞き分けるほどの冷静さで自分を見つめる自分。ならぬかな、にこめられた感情の強さは、同時に悲しみの強さともいえるだろう。一度お目にかかった折の、理知的で穏やかで優しい印象の笑顔と、「写生とは文字通り、生を写すこと」という言葉を思い出している。『鳴戸奈菜句集』(2005・ふらんす堂)所収。(今井肖子)


February 1522008

 春の朝日鋲の頭を跳び跳び来る

                           安藤しげる

九三一年神奈川県川崎市に生まれる。父は製鉄所勤務。六歳のとき母によって姉が苦界に売られると本人記述の年譜にある。十二歳のとき借金のため一家離散。翌年より旋盤見習工として働く。「社会性俳句」という呼称がある。主に第一次産業や、炭鉱、国鉄、工場労働などの従事者がみずからの現場から取材した俳句を指す。そこから社会批評に向ける眼差しを引き出してくる意味を込めてその名が用いられた。「社会性俳句」はしかし、高度成長経済の進展によって終焉する。ひとつの流行として幕が下ろされたかに見える。現場から直接瞬時に受け取るものを描くという方法は芭蕉以来の俳句の骨法であって、決して流行のスタイルで終わるものではないと僕は思う。現場から直接立ち上る息吹に、思想や政治性をまぶして「社会性」という言葉を当てはめ、絵に描いた餅のような汗と涙の労働と団結をでっち上げたのは、実際に現場の労働に従事したしげるたちではなく、現場労働を傍観しつつ流行のムードを演出したイデオロギー優先の「リベラリスト」や知的エリートの管理職たちである。彼らは流行を演出したあとバブル期に入るといちはやく「俳諧」に転向する。「社会性俳句」出身の「俳諧」俳人はごろごろいる。みんな俳壇的成功者である。鋲の頭を跳びながら来る春の朝日は傍観者では詠えない。この瞬間に存在の全体重をかけて、どっこい安藤しげるは生きている。『胸に東風』(2005)所収。(今井 聖)


February 1422008

 バレンタインデーカクテルは傘さして

                           黛まどか

の子から好きな男の子へチョコを贈るこの日が日本に定着したのはいつからだろう?昭和40年代の後半あたりから菓子売り場にバレンタインコーナーができたように記憶しているが、どうなのだろう。私も一度意を決して片思いの彼にチョコをプレゼントしようとしたけど、手渡す機会がなくて結局自分で食べてしまった。以来バレンタインチョコが売り出されるたび自分のドン臭さが思い出されて少し哀しい。掲句、どこに切れを入れて読むかでいろんな場面が想像される。バレンタインデーカクテルはチョコレートリキュールをベースに作られた甘いカクテル。華やかな洋酒の瓶の並ぶバーのカウンターでカチンとグラスを合わせてバレンタインの夜を楽しんでいる二人、しかしそう考えると「傘さして」がわからない。屋台じゃあるまいし傘をさしながらカクテルを飲むわけはないし、カクテルのストロー飾りに傘がついているのだろうか。それとも洋酒入りのカクテルチョコレートを相合傘の彼に差し出した屋外の情景なのかも。謎めいた名詞の並びが色とりどりのバレンタインシーンを思わせる。今日は寒くなりそうだけど、鞄の底にチョコレートを忍ばせて出かけた女の子たちにとってよい日でありますように。「季語集」岩波新書(2006)所載。(三宅やよい)




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