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February 2422008

 自転車に積む子落すな二月の陽

                           長田 蕗

の句が、どこかユーモラスに感じられるのは、子供を自転車に「乗せる」のではなく、「積む」と言っているからなのでしょう。まるで荷物を放り投げるように、子供を扱っています。さらに、「落すな」という命令言葉からも、それを発する人の心根の優しさを感じることができます。その優しさは、「二月の陽」の光のあたたかさにつながっていて、太陽の明るい光が、そのまま句全体を照らしているようです。わたくしごとですが、かつて、40近くになって、初めての子供を授かりました。ありがたくはありましたが、いきなりの双子の子育ては、家内と二人、想像以上に大変でした。順繰りに夜泣きを繰り返す時期も過ぎ、外出できるようになるまでは、ほとんど満足に睡眠をとったこともありませんでした。ですから、自転車の前後に籠を取り付けて、子供を乗せて外を走れるようになったときの爽快感は、今でも忘れることができません。それは単に、春風の気持ちよさだけではなく、子供がやっとここまで育ったぞという、安堵感をも伴ったものでした。「積む子落すな」を、単に自転車から落すなと読めばよいところを、子供たちの行く末の道をしっかりと見届けろよと深読みしてしまうのは、我ながらしかたがないかなと、思うのです。『鑑賞歳時記 春』(1995・角川書店)所載。(松下育男)




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