新入社員時代、会社近くの喫茶店モーニング・サービスが定番だった。(哲




2008ソスN4ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0742008

 春の服買ふや余命を意識して

                           相馬遷子

の服には明るい色彩や柄のものが多い。それだけに高齢になってから買うときには、若いころのように弾む気持ちもなくはないけれど、他方では少々派手気味かななどと、余計な神経を使ったりもする。そのためらいの気持ちを止めるよう自己説得するのが、「余命」の意識というわけだ。あと何年生きられるか、わからない。二十年も三十年も生きるのは、常識的にまず不可能だ。そんな年齢なのだから、いつまでも昔のように世間や周囲の目を気にしていたら、死ぬときに後悔することにもなりかねない。着たいものを着られるのも、生きていればこそなのである。そう自分に言い聞かせて、作者はえいっとばかりに春の服を買ったのだった。むろん、あと何年着られるかなあという心細さも自然に「意識」されて……。そしてこのことは、春の服に限らない。私なども最近、多少高価なものを買おうとするたびに、このような自己説得法を使うようになってきた。それにしても大概の場合に、何の根拠もなくあと十年は生きるつもりの余命意識を持ち出すのだから、まったくいい気なものだとは思うけれど、しかしそのいい気を一方で哀しく思う気持ちも拭えないというのが、正直なところだ。『合本・俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


April 0642008

 相席に誘はれてゐる新社員

                           中神洋子

いぶん昔の、会社に入った頃のことを思い出しました。就職情報を丹念に調べ、会社の業績や将来性、あるいは社風や社長の理念まで細かく調べ上げても、実際に職場に行ってみなければ、そこがどんな場所なのかということはわかりません。慣れ親しんだ環境から、新しい雰囲気の場所へ移るには、それなりの緊張感が伴います。自分を受け入れてくれるのか。あるいは素直になじむことの出来る空気なのか。そんなことを考えているだけで、緊張感が増してきます。朝早くに初日の出社をし、人事部で大まかな説明を聞き、社員証の写真をとり、所属部署へ案内されても、まだどこかなじめない気持ちを持ち続けています。所属部署に連れて行かれ、一人一人挨拶してまわっても、直属の上司の名前を覚えるのが精一杯です。ほかの社員にはただ頭を下げて、自分の名前と、「よろしくお願いします」を繰り返すだけです。この句は、そんな日の昼食時を詠っているのでしょうか。社員食堂で見よう見まねで食事をトレイに載せ、どこに座ろうかと歩き出したところで、「ここ、どうぞ」とでも言われたのです。テーブルに向かいながら、なんとかここでやっていけるかなと、思いはじめたのでしょう。なんだか句を読んでいるこちらまで、ほっとします。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


April 0542008

 囀や真白き葉書来てゐたる

                           浦川聡子

聞やダイレクトメール、事務連絡の茶封筒などに混ざって、葉書が一枚。白く光沢のある絵はがきの裏、宛名の文字は見慣れた友人のもので、旅先からの便りだろうか。白は、すべての波長の光線を反射することによって見える色というが、人間が色彩を感知するメカニズムについて、今さらのように不思議に思うことがある。数学をやりながら、数式や定理がさまざまな色合いをもって頭の中に浮かぶ、と言う知人がいた。どんな感覚なのか、残念ながら、私は色のついた数式を思い浮かべることはできない。どちらかといえば視覚人間、コンサートに行くより絵画展へ、句作の時もまず色彩へ視線がいくのだけれど。この句の作者は、音楽に造詣が深く、音楽にかかわる秀句が多いことでも知られており、視覚と聴覚がバランスよく句に働いている。メールが通信手段の主流となりつつある中、春風に運ばれてきたような気さえするその葉書に反射する光と、きらきらと降ってくる囀に包まれて、作者の中に新しいメロディーが生まれているのかもしれない。『水の宅急便』(2002)所収。(今井肖子)




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