今日は「みどりの日」とばかり思ってた。「昭和」も遠くなりにけるかな。(哲




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April 2942008

 春昼や魔法の利かぬ魔法瓶

                           安住 敦

空状態を作って保温するという論理的な英語「vaccum bottle」に対し、何時間でもお湯が冷めない現象に着目し、日本では「魔法瓶」と命名された。どんなものにもよく書けるマジックインキ、愛犬に付いた草の実(おなもみ)がヒントとなったマジックテープなども、従来にない不思議な力を強調した「魔法/マジック」の用法だが、「魔法瓶」はなかでも突出して絶妙なネーミングである。他にも、来週に控える「黄金週間」やめくるめく「万華鏡」なども腕の立つ日本語職人の手になるものと思われる。掲句は、茶の間に鎮座するポットの仰々しいネーミングにくすりと笑う大人の視線だが、いかにもうららかな春の昼であることが、笑いを冷笑から、ユニークな名称の背景にある人間の体温を感じさせている。希代の発明でもあった魔法瓶だが、落とすと割れてしまうという頑丈さに欠ける一面と、1980年代の水を入れると自動的に沸かし、そのまま保温できる電気ポットの登場で、またたく間に姿す。わずか後十数年で「魔法」の名を返上することになろうとは作者にも思いもよらぬことだったろう。しかも最近では、自販機で「あたたかい天然水」が売られている。飲料水を持ち歩くのがごく普通になった現代ではことさら驚くことではないのかもしれないが、白湯の出現にはいささかびっくりした。『柿の木坂だより』(2007)所収。(土肥あき子)


April 2842008

 メーデーの手錠やおのれにも冷たし

                           榎本冬一郎

ーデーが近づいてきた。と言っても、近年の連合系のそれは四月末に行われるので、拍子抜けしてしまう。メーデーはあくまでも五月一日に行われることに大きな歴史的な意義があるのだ。このたった一日の労働者の祭典日を獲得するまでに、世界中の先輩労働者たちがいわば血と汗で贖った五月一日という日付を、そう簡単に変えたりしてよいものだろうか。私は反対だ。句の作句年代は不明だが、まだメーデーに「闘うメーデー」の色彩が濃かった頃の句だと思われる。家族連れが風船片手に参加できるような暢気な状況ではなかった。作者は警察官の立場から詠んでいるわけだが、所持した手錠を何度も触って確認している図は、おのずからメーデー警備の緊張感を象徴している。触って冷たいのだから、まだ祭典が始まる前の朝早い時間かもしれない。手錠は心理的にも冷たく写るので、やがて遭遇することになるデモ隊からは、所持者たる警察官にもそれこそ冷たい視線が浴びせられることになるだろう。作者はそのことを十分承知しながらも、しかし「おのれにも」冷たいのだと言っている。触感だけではなく、心理的にもだ。作者は苦学して警察官になったと聞く。だから、民間労働者の苦しみもよくわかっている。立場の違いがあるからといって、そのような人々と争いたくはない。できれば手錠を使う機会がないことを願うばかりなのだ。そんな気持ちの葛藤が、作者をして心理的にも手錠を冷たく感じさせる所以だと読めてくる。『現代歳時記・春』(2004年・学習研究社)所載。(清水哲男)


April 2742008

 春の蛇口は「下向きばかりにあきました」

                           坪内稔典

うしてこの句に惹かれるのだろう、というところから考えはじめなければならないようです。文芸作品に接するとき、通常は、言葉で巧みに描かれた「意味内容」に、心を動かされるものです。しかし、掲句を読むかぎり物事はそう単純ではないようです。意味はわかりやすくできています。蛇口というのはたいてい下向きについているものですが、人か、あるいは蛇口自身が、ある日、そのことにもう飽きたといいだしたのです。たしかに、だれもなんとも思わないものを、このようにとり上げられれば、そうかそんな見方もあるのかという驚きは感じます。しかし、この句に惹かれる理由は、それだけではないようです。また、「春の」とあるように、のんびりとした雰囲気の中で、深刻なことは考えないで、水のこぼれている栓のゆるい蛇口でも眺めていようよという、心地のよいちからのぬけかたも感じます。しかし、それだけでもなさそうです。たぶん、俳句という、ここまでは言い切ってしまったけれども、ここから先はどんなふうに書きついでも台無しになる世界、そこにこそ、私は惹かれるのかなと、思うのです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)




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