ニ暑

May 2152008

 暫くは五月の風に甘えたし

                           柳家小満ん

木の緑がすっかり濃くなった。若いときは草木の緑などには、目などくれていなかったように思うけれど、年齢を重ねるとともに緑に目を奪われるようになった。緑をさらさら洗うように吹きわたってくる風の心地よさ。寒くもない、暑くもない。掲出句の「五月」は「さつき」と読むべきだろう。薫るようなさわやかな風に身も心もあずけて、いつまでもそうしていたい、「甘え」ていたい――「五月の風」はそんな気持ちにさせてくれる。しかし、もうすぐ汗ばむ暑い夏はすぐそこである。特に近年は、春も初夏もあっという間に過ぎていってしまう。風であれ何であれ、人はふと何かしらに甘えたくなってしまうことがある。それはおそらく束の間のことだろうけれど、許されても良いことではないか。小満ん(こまん)はあの名人桂文楽(八代目)の高座に一目ぼれして、大学を中退して入門した。文楽の内弟子時代に「お前なんぞ、まだ噺家の卵にもなっていないんですよ」と叱られながら厳しく育てられた。小満んには『わが師、桂文楽』という名著がある。他にも何冊かの著書があり、年に一回刊行している句集も二十七冊をかぞえる。「文人落語家」と呼ばれる所以である。その高座は落ち着いたいぶし銀の江戸っ子を感じさせる。歯切れのいい本寸法の口調には、しばし酔わされる心地良さがただよう。「夏帯を一つ叩いて任せあれ」というイキな句もならぶ。『狐火』(2008)所収。(八木忠栄)




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