最近、思い掛けないところで旧知の人に出会う。何かの前兆かな、まさか。(哲




2008ソスN5ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3052008

 五月雨や上野の山も見あきたり

                           正岡子規

治三十四年、死の前年の作。子規は根岸の庵から雨に煙る緑の上野の山を毎日のように見ていた。病臥の子規にとって「見あきたり」は実感だろうが、人間は晩年になると現世のさまざまの風景に対してそんな感慨をもつようになるのであろうか。「見るべきほどのことは見つ」は壇ノ浦で自害する前の平知盛の言葉。「春を病み松の根つ子も見あきたり」は西東三鬼の絶句。三鬼の中にこの子規の句への思いがあったのかどうか。この世を去るときは知盛のように達観できるのが理想だが、なかなかそうはいかない。子規も三鬼も「見あきたり」といいながら「見る」ことへの執着が感じられる。思えば子規が発見した「写生」は西洋画がヒントになったというのが定説だが、この「見る」ということが「生きる」ことと同義になる子規の境涯が大きな動機となっていることは否定できない。生きることは見ること。見ることの中に自己の瞬時瞬時の生を実感することが「写生」であった。『日本の詩歌3・中公文庫』(1975)所載。(今井 聖)


May 2952008

 おにいちゃんおこられながらバラ見てた

                           須田知子

々の門口に美しく咲き誇っていた薔薇も週末の雨でだいぶ散ってしまった。四季咲きの薔薇も多くなっているけど、やはり五月の薔薇が一番美しい。平仮名の表記と幼い口調に、小学生ぐらいの自分に引き戻された。そういえば昔はよく説教をされたっけ。けんかをしたとき、物を壊したとき、怖い顔で怒っている親の顔と正面から向き合っているのは気まずい。とは言え神妙な顔をしていないと、くどくどくどくど説教はいつまでも続く。子供ながらに視線の置き方が難しかった覚えがある。自分は悪くない。と、くやしい気持ちに涙をこらえて頑なに横を向き、関係ないものをじっと見詰めていたときもある。この男の子もきっとそんな気持ちでふと目に止まったバラを見ていたのだろう。それが、そのうちバラの美しさにひきつけられて、怒られていることは忘れてバラに見入っているのかもしれない。そんな兄の変化を少し離れたところからじっと見ている妹。単純なようでバラを中心に、少年の心の変化と家族の情景が鮮明に浮かび上がってくる句だと思う。『さあ現代俳句へ』(1997)所載。(三宅やよい)


May 2852008

 石載せし小家小家や夏の海

                           田中貢太郎

太郎は一九四一年に亡くなっているから、この海辺の光景は大正から昭和にかけてのものか? 夏の海浜とはいえ、まだのどかというか海だけがだだっ広い時代の実景であろう。粗末で小さい家がぽつりぽつりとあるだけの海の村。おそらく気のきいた海水浴場などではないのだろうし、浜茶屋といったものもない。海浜にしがみつくようにして小さな家が点々とあるだけの、ごくありきたりの風景。しかも、その粗末な家の屋根も瓦葺ではなく、杉皮か板を載せて、その上に石がいくつか重しのように載っけられている。いかにも鄙びた光景で、夏の海だけがまぶしく家々に迫っているようだ。「小家小家」が打ち寄せる「小波小波」のようにさえ感じられる。何をかくそう、私の家も昭和二十五年頃まで屋根は瓦葺でもトタンでもなく、大きな杉皮を敷きつめ、その上にごろた石がいくつも載っかった古家だった。よく雨漏りがしていたなあ。貢太郎は高知出身の作家。代表作に『日本怪談全集』があるように、怪談や情話を多く書いた作家だった。そういう作家が詠んだ句として改めて読んでみると、「小家」が何やら尋常のもではないような気もして謎めいてくる。貢太郎の句はそれほど傑出しているとは思われないが、俳人との交際もさかんで多くの句が残されている。「豚を積む名無し小駅の暑さかな」という夏の句もある。「夏の海」といえば、渡邊白泉の「夏の海水兵ひとり紛失す」を忘れるわけにはいかない。『田中貢太郎俳句集』(1926)所収。(八木忠栄)




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