佐々木敏光さんから自著『ヴィヨンとその世界』。初期のネット仲間、嬉しい。(哲




2008ソスN6ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0662008

 漁師等にかこまれて鱚買ひにけり

                           星野立子

取県の米子から境港に向かう途中の弓ヶ浜は砂浜の海岸で、初夏になると投げ釣りの釣り人が波打ち際に並ぶ。鱚、めごち、ハゼが主な釣果。朝と夕方がよく釣れる。浜辺まで家から五百メートルほどだったので、僕も登校前の早朝、よく釣りに行った。思いきり投げて、あとは海底をリールで引きずりながらあたりを待つ。鱚は上品な外見で魚体の白色に光の角度で虹の色が見える。この句、漁港の朝市だろうか。地元の漁師たちに囲まれて旅行者の女性が鱚を買っている。旅行者は新鮮な鱚に目を奪われているが、漁師たちはこの旅行者の方を物珍しそうに見ている。鱚釣りをしていた中学生の頃、「キス」という発音が恥ずかしくて言いにくかった。米子弁で「キス釣りに行かいや」と言うだけで赤面したりしてたんだな。馬鹿だね、中学生って。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


June 0562008

 きんいろのフランス山の毛虫かな

                           星野麥丘人

から毛虫は嫌われ者だ。小学校の頃、葉桜の下で鬼ごっこをして教室へ帰ってきたら回りにいた友達が突然きゃーきゃー騒ぎだした。真っ黒な毛虫が私の肩にひっついていたのだけど遠巻きに騒ぐだけで誰もとってくれない。その思い出があるから今も葉桜の下を通るときには首をすくめて足早に通る。なぜかその毛虫がこの句ではすてきに思える。夕焼けを浴びてきんいろに光っている毛虫はおとぎ話の主人公のように何か別のものに変身しそうだ。インターネットで調べるとフランス山は横浜港を一望できる「港の見える丘公園」の北側部分を指すらしいが、それを知らなくとも「フランス山」という名前からは童話的世界の広がりが感じられる。夕暮れ時の山の中でたまたま眼にした毛虫が夕日を浴びてきんいろに光っていただけかもしれないが、読み手の私には嫌いだった毛虫に別の表情が加わったように思う。『亭午』(2002)所収。(三宅やよい)


June 0462008

 満山の青葉を截つて滝一つ

                           藤森成吉

書に「那智の滝」とある。滝にもいろいろな姿・風情があるけれど、那智の滝の一直線に長々と落ちるさまはみごとと言わざるを得ない。すぐそばでしぶきを浴びながら見あげてもよし、たとえば勝浦あたりまで離れて、糸ひくような滝を遠望するのも、また味わいがちがって楽しめる。新緑を過ぎて青葉が鬱蒼としげる山から、まさにその万緑をスパッと截り落とさんばかりの勢いがある。「青葉」「滝」の季重なり、などというケチくさい料簡など叩き落す勢いがここにはある。余計なことは言わずに、ただ「截つて」の一言で滝そのものの様子やロケーションを十二分に描き出して見せた。いつか勝浦から遠望したときの那智の滝の白い一筋が、静止画の傑作のようだったことが忘れられない。ドードーと滝壺に落ちる音が、彼方まで聞こえてくるようにさえ感じられた。「青葉を截つて」落ちる滝が、あたりに強烈な清涼感を広げている。ダイナミックななかにも、「滝一つ」と詠むことで一種の静けさを生み出していることも看過できない。よく似た句で「荒滝や満山の若葉皆震ふ」(夏目漱石)があるが、こちらは「荒」や「震ふ」など説明しすぎている。成吉には「部屋ごとに変はる瀬音や夏の山」という句もあるが、澄んでこまやかな聴力が生きている。左翼文壇で活躍した成吉は詩も俳句も作り、句集『山心』『蝉しぐれ』などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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