ったく、もう。阪神は勝ちみが遅すぎる。たまには先取点ナカ押し駄目押しを。(哲




2008ソスN6ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0762008

 緑蔭や光るバスから光る母

                           香西照雄

を一読する時間というのは、ほんの数秒、ほとんど一瞬である。そこで瞬間の出会いをする句もあれば、一読して、ん?と思い、もう一回読んでなるほどとじんわり味わう句もある。時には、あれこれ調べてやっと理解できる場合も。この句は、一読して、情景とストーリーと作者の思いが心地良く伝わってきた。緑蔭は、緑濃い木々のつくる木陰。そこで一息ついた瞬間、木陰を取り囲む日差し溢れる風景が、ふっと遠ざかるような心持ちになるが、緑蔭のもつ、このふっという静けさが、この句の、光る、のリフレインを際だたせている。作者は緑蔭のバス停にいるのか、それとも少し離れた場所で佇んでいるのか。バスの屋根に、窓ガラスに反射する太陽と、そのバスから降りてくる母。まず、ごくあたりまえに、光るバス、そして、光る母。光る、という具体的で日常的な言葉が、作者の心情を強く、それでいてさりげなく明るく表現している。『俳句歳時記第四版・夏』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


June 0662008

 漁師等にかこまれて鱚買ひにけり

                           星野立子

取県の米子から境港に向かう途中の弓ヶ浜は砂浜の海岸で、初夏になると投げ釣りの釣り人が波打ち際に並ぶ。鱚、めごち、ハゼが主な釣果。朝と夕方がよく釣れる。浜辺まで家から五百メートルほどだったので、僕も登校前の早朝、よく釣りに行った。思いきり投げて、あとは海底をリールで引きずりながらあたりを待つ。鱚は上品な外見で魚体の白色に光の角度で虹の色が見える。この句、漁港の朝市だろうか。地元の漁師たちに囲まれて旅行者の女性が鱚を買っている。旅行者は新鮮な鱚に目を奪われているが、漁師たちはこの旅行者の方を物珍しそうに見ている。鱚釣りをしていた中学生の頃、「キス」という発音が恥ずかしくて言いにくかった。米子弁で「キス釣りに行かいや」と言うだけで赤面したりしてたんだな。馬鹿だね、中学生って。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


June 0562008

 きんいろのフランス山の毛虫かな

                           星野麥丘人

から毛虫は嫌われ者だ。小学校の頃、葉桜の下で鬼ごっこをして教室へ帰ってきたら回りにいた友達が突然きゃーきゃー騒ぎだした。真っ黒な毛虫が私の肩にひっついていたのだけど遠巻きに騒ぐだけで誰もとってくれない。その思い出があるから今も葉桜の下を通るときには首をすくめて足早に通る。なぜかその毛虫がこの句ではすてきに思える。夕焼けを浴びてきんいろに光っている毛虫はおとぎ話の主人公のように何か別のものに変身しそうだ。インターネットで調べるとフランス山は横浜港を一望できる「港の見える丘公園」の北側部分を指すらしいが、それを知らなくとも「フランス山」という名前からは童話的世界の広がりが感じられる。夕暮れ時の山の中でたまたま眼にした毛虫が夕日を浴びてきんいろに光っていただけかもしれないが、読み手の私には嫌いだった毛虫に別の表情が加わったように思う。『亭午』(2002)所収。(三宅やよい)




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