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June 1962008

 どうしても子宮に手がゆくアマリリス

                           松本恭子

んなで聞こう/楽しいオルゴールを/ラリラリラリラ/しらべはアマリリス(『アマリリス』岩佐東一郎作詞)アマリリスの名前を知ったのは教室で習った唱歌からだったが、実際に花を見たのはだいぶ後からだったように思う。このあいだ歩いた茗荷谷の細い路地では大きな赤い花を咲かせたアマリリスの鉢植えが戸口のあちこちに置かれていた。「子宮」という生々しい言葉に一瞬ぎょっとなるけど、アマリリスという優しい花の名前が幾分その衝撃を和らげている。「どうしても子宮に手がゆく」という表現に女に生まれ女の身体に向き合っている哀しみにも似た感情が託されているのだろう。デビューのときにはレモンちゃんの愛称で親しまれ、そのすがすがしい青春性が話題になった作者だが、掲句を含む句集では「私」の感情を中心に身体を通して対象をとらえる主情的な俳句が多かったように思う。「白昼夢機械いぢれば声の出る」「どこまでもゆけると思ふ夜の鹿」『夜の鹿』(1999)所収。(三宅やよい)


August 2082015

 金魚泳ぐ一本の茎となるまで

                           松本恭子

魚鉢の金魚が丸い金魚玉の側面に沿ってくるくる同じところを回っている。作者の目には同じところを回る金魚がらせん状に巻き上がって柔らかい緑の茎になっていくように思えたのだろう。句の背後には狭い水に閉じ込められて回転している金魚への哀れみが感じられる。木ではなく茎としたのは水槽にゆらぐ藻の色、金魚の柔らかさが映し出されているのだろう。茎となりその先端からはこぼれるように赤い花が開くかもしれない。詩的な隠喩は言葉を視覚的なイメージに昇華させ今まで見たこともない像を描き出す。「胸濡らす中国民謡黒金魚」この句集に収められている金魚の句は鑑賞の対象ではなく、作者の情感と深く結びついている。金魚を見つめる目は同時に自分の内部へ向けられ夢幻の世界に泳ぐ金魚そのものになっているのだ。『花陰』(2015)所収。(三宅やよい)




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