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July 0172008

 歩荷くる山を引き摺るやうに来る

                           加藤峰子

日富士山のお山開き。夏山登山がシーズンを迎える。歩荷(ぼっか)とは、ヒマラヤ登山のシェルパ族や、新田次郎の小説『強力(ごうりき)伝』で登場する荷物を背負って山を越えたり、山小屋へ物資を届けたりする職業である。現在ではヘリコプターが資材運搬の主流となり、歩荷は山岳部の学生や登山家がトレーニングを兼ねて行っているというが、以前は過酷な労働の最たるものだった。実在のモデルが存在する『強力伝』で、富士山の強力小宮正作が白馬岳山頂に運んだ方位盤は50貫目(187.5kg)とあり、馬でさえ荷を運ぶときの上限は30貫目(112.5kg)だったことを思うと、超人と呼べる肉体が必要な職業だろう。立山連峰で歩荷の経験のある舅に当時の思い出を聞くと、ぽつりと「一回に一升の弁当がなくなる」と言った。歩荷の経験が無口にさせたのか、無口でなければ歩荷は勤まらないのか定かではないが、口が重いこともこの職業に共通した大きな特徴であるように思われる。食べては歩く、これをひたすらに繰り返し、這うように進む。眼下に広がるすばらしい景色や、澄んだ空気とはまったく関係なく、道が続けば歩き、終われば目的地なのだ。掲句では上五の「くる」で職業人としての歩荷を描写し、さらに下五で繰り返す「来る」でその存在は徐々に大きくなって迫り、容易に声を掛けることさえためらわれる様子が感じられる。歩荷は山そのもの、まるで山に存在する動くこぶのような現象となって、作者の目の前をずっしりと通り過ぎて行ったのだろう。『ジェンダー論』(2008)所収。(土肥あき子)


July 0872008

 夏ぐれは福木の路地にはじまりぬ

                           前田貴美子

ぐれは、夏の雨、それも「ぐれ=塊」と考えられることから、スコールを思わせる勢いある雨をいう。潤い初めるが語源という「うりずん」を経て、はつらつと生まれたての夏を感じる「若夏(ワカナチ)」、真夏の空をひっくり返すような「夏ぐれ(ナチグリ)」、そしてそろそろ夏も終わる頃に吹く「新北風(ミイニシ)」と季節は移る。うっかりすると盛夏ばかり続くように思える沖縄だが、南国だからこそ豊かで魅力的な夏の言葉の数々が生まれた。福木(フクギ)もまた都心では聞き慣れない樹木だが、沖縄では街路樹などにもよく使われているオトギリソウ科の常緑樹である。以前沖縄を旅していると、友人が「雨の音がするんだよ」と福木の街路樹を指さした。意識して耳を傾ければ、頑丈な丸い葉と葉が触れ、パラパラッというそれは確かに降り始めの雨音に似ていた。わずかな風でも雨の音を感じさせる木の葉に、実際に大粒の雨が打ち付けることを思えば、それはさぞかし鮮烈な音を放つだろう。激しい雨はにぎやかな音となって、颯爽と路地を進み、さとうきび畑を分け、そしてしとどに海を濡らしている。〈若夏や野の水跳んで海を見に〉〈我影に蝶の入りくる涼しさよ〉〈甘蔗時雨海をまぶしく濡らしけり〉跋に同門であり、民俗学に精通する山崎祐子氏が、本書に使用されている沖縄の言葉についてわかりやすい解説がある。『ふう』(2008)所収。(土肥あき子)


July 1572008

 火曜日は原則としてプールの日

                           山本無蓋

日火曜日。「原則として」などといかめしく始まる斡旋に、わが火曜日に何ごとが起こるのかと身構えてみれば、ごくカジュアルに「プールに行く日」なのだという。作者が大真面目であればあるほど、とぼけたおかしみに吹き出しながら、ここは火曜日に発見があるのではないかと気づく。月曜日の憂鬱もなく、週末への期待にもほど遠く、一週間のなかでもっとも意味を持たれにくい曜日である。日曜日に市場に出かけ〜♪で始まるおなじみのロシア民謡『一週間』でも、月曜日にせっせと準備したお風呂に、火曜日はただ入るだけという気楽な設定である。まったく印象の薄い曜日だと納得していたが、最近「スーパーチューズデー」で一躍火曜日が注目された。アメリカ合衆国では選挙投票日が必ず火曜日に設定されている。これは19世紀半ばから続く慣習で、キリスト教では日曜日が安息日とされていることから、月曜日に投票場へと出発し、どんなに遠隔地からでも火曜日には到着しているあろうという、なんとも先のロシア民謡的ゆるやかな理由からなるものだった。ともあれ、火曜日は予定もなんとなく空いているような虚ろな曜日であることは間違いなく、掲句も心に固く決めておかないと突発的残業やら突発的飲み会などの優先順位についつい負けてしまうのだろうな。『歩く』(2008)所収。(土肥あき子)


July 2272008

 宿題を持ちて花火の泊り客

                           半田順子

休みが始まり、平日の昼間の駅に子どもたちの姿がどっと見られるようになった。夏休みのイベントのなかでも、花火と外泊は絵日記に外すことのできない恰好の題材だ。わが家も掲句同様、わたしと弟とそれぞれの宿題を背負い、花火大会の前後を狙って祖父の家に滞在するのが夏休みの恒例行事だった。打上げ花火の夢のような絵柄が、どーんとお腹に響く迫力ある音とともに生み出されていくのを二階の窓から眺めていたことを思い出す。打上げ音が花火よりわずかに遅れて聞こえてくることの不思議に、光りと音の関係を何度聞かされても腑に落ちず、連発になると今のどーんはどの花火のどーんなのかと、見事な花火を前にだんだんと気もそぞろになっていくのは今も変わらない。そしていよいよ白い画用紙を前に、興奮さめやらぬままでかでかと原色の花火を描く。しかし花火を先に描いてしまうと、夜空の黒を塗り込むのがとても厄介になることも、毎年繰り返していた失敗だ。以前の読者アンケートに、このページを読んでいる小学生もわずかに存在するという結果が出ていたが、花火を描くときには「夜空から塗る」、これを愚かな先輩からのアドバイスとして覚えていてほしい。〈夏来ると浜の水栓掘り起す〉〈蝉穴の昏き歳月覗きをり〉『再見』(2008)所収。(土肥あき子)


July 2972008

 わが死後は空蝉守になりたしよ

                           大木あまり

いぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしていたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関に駄菓子屋さんで見かけるような大きなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに棒立ちになってしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻はこの世に残るものだから好き」なのだとも。その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろう。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれる。掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。石田郷子〈蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子〈水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子〈夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子)


August 0582008

 白服の胸を開いて干されけり

                           対馬康子

い空白い雲、一列に並んだ洗濯物。この幸せを象徴するような映像が、掲句ではまるで胸を切り裂かれたような衝撃を与えるのは、単に文字が作り出す印象ではなく、そこに真夏の尋常ではない光線が存在するからだろう。白いシャツの上に自ら作りだす黒々とした影さえも、灼熱の太陽のもとでは驚くほど意外なものに映る。この強烈なエネルギーのなかで、なにもかも降参したように、あるものは胸を開き、あるものは逆さ吊りにされて、からからと乾いていくのである。しかし、お日さまをよく吸って、すっかり乾いた洗濯物の匂いは格別なもの。最近発売されている柔軟剤に「お日さまの香り」というのを見つけた。早速試してみたらどことなくメロンに近いものを感じるが、お日さまといえばたしかにお日さま。それにしても太陽の香りまで合成されるようになっている現代に、ただただ目を丸くしている。〈異国の血少し入っている菫〉〈初雪は生まれなかった子のにおい〉〈死と生と月のろうそくもてつなぐ〉『天之』(2007)所収。(土肥あき子)


August 1282008

 山へゆき山をかへらぬ盆の唄

                           小原啄葉

仕事に行ったきり帰ってこない者を恋う歌なのだろうか。具体的な歌詞を知るために、まずは作者の出身である東北地方最古といわれる盆踊り唄「南部盆唄」から調べてみた。ところが、これがもうまったく不思議な唄だった。「南部盆唄」はまたの名を「なにゃとやら」と呼ばれ、「なにゃとやらなにゃとなされのなにゃとやら」と、文字にするのも困難を極めるこの呪文のような文句を、一晩中繰り返し唄い踊るのだった。しかし、元々盆唄とは歌詞は即興であることも多く、その抑揚そのものが土地へとしみ渡っているように思う。「なにゃとやら」と続くリズムを土地の神さまへ納めているのだろう。掲句の盆唄もまた、山を畏怖する土地に伝承されている唄と把握すればそれ以上知る必要はないのだ。抑揚のみの伝搬を思うと、今、やたらと耳につき、思わず口ずさんでいることすらあるメロディーがある。「崖の上のポニョ」。このメロディーもまた、やはりなにか信仰につながるような現代に粘り付くメロディーがあるように思い当たるのだった。〈草の中水流れゐる送り盆〉〈精霊舟沈みし闇へ闇流る〉〈あらくさに夕陽飛びつく二十日盆〉句集名『而今』は「今の一瞬」の意。道元禅師の「山水経」冒頭より採られたという。(2008)所収。(土肥あき子)


August 1982008

 本といふ紙の重さの残暑かな

                           大川ゆかり

さは立秋を迎えてから残暑と名を変えて、あらためてのしかかるように襲ってくる。俳句を始めてから知った「炎帝」という名は、火の神、夏の神、または太陽そのものを指すという。立秋のあとの長い長い残暑を思うと、炎帝の姿にはふさふさと重苦しい長い尻尾がついていると、勝手に確信ある想像していたのだが、ポケモンに登場する「エンテイ」は「獅子のような風格。背中には噴煙を思わせるたてがみを持つ」とされ、残念ながら尻尾には言及されていない。掲句は残暑という底なしの不快さを、本来「軽さ」を思わせる「紙」で表現した。インターネットから多くの情報を得るようになってから、紙の重さを忘れることもたびたびある現代だが、「広辞苑」といって、あの本の厚みを想像できることの健やかさを思う。ずっしりと思わぬ重さに、まだまだ続く残暑を重ね、本の重さという手応えをあらためて身体に刻印している。〈泳ぐとはゆつくりと海纏ふこと〉〈月朧わたくしといふかたちかな〉〈あきらめて冬木となりてゐたりけり〉『炎帝』(2007)所収。(土肥あき子)


August 2682008

 八月のからだを深く折りにけり

                           武井清子

を二つに折り、頭を深く下げる身振りは、邪馬台国について書かれた『魏志倭人伝』のなかに既に記されているという長い歴史を持つ所作である。武器を持っていないことを証明することから生まれた西洋の握手には、触れ合うことによる親睦が色濃くあらわれるが、首を差し出すというお辞儀には一歩離れた距離があり、そこに相手への敬意や配慮などが込められているのだろう。掲句では「深く」のひとことが、単なる挨拶から切り離され、そのかたちが祈りにも見え、痛みに耐える姿にも見え、切なく心に迫る。引き続く残暑とともに息づく八月が他の月と大きく異なる点は、なんとしても敗戦した日が重なることにあるだろう。さらにはお盆なども引き連れ、生者と死者をたぐり寄せるように集めてくる。掲句はそれらをじゅうぶんに意識し、咀嚼し、尊び、八月が象徴するあらゆるものに繊細に反応する。〈かなかなや草のおほへる忘れ水〉〈こんなふうに咲きたいのだらうか菊よ〉〈兎抱く心にかたちあるごとく〉『風の忘るる』(2008)所収。(土肥あき子)


September 0292008

 本流の濁りて早き吾亦紅

                           山田富士夫

集には掲句に続き〈濁流の退きて堰堤吾亦紅〉が並んでいる。人の嗜好を山派、海派と分けると聞くにつけ、川派も入れてくれ、とつねづね思っていた。山の深みに迷う感じも怖いし、海の引く波にも底知れぬ心細さを感じる。川のただひたすら海を目指して行く健やかさが好ましい、などと言うと、このところの不順というより凶悪な豪雨に暴れ狂う映像が繰り返されるように、川もまた穏やかな顔だけ見せるわけではない。以前、静岡の実家の前に流れる川が氾濫し、向こう岸が決壊したことがある。近所中の大人が揃って土手に並び、形のなくなった対岸を眺めていた。雨ガッパ姿の大人が並ぶ後ろ姿も異形だったが、足元にすすきが普段通りに揺れていたのが一層おそろしかった。掲句も激しい濁流に取り合わせる吾亦紅の赤は、けなげというより、やはり取り残された日常のおそろしさをあらわしているように思う。『砂丘まで一粁』(2008)所収。(土肥あき子)


September 0992008

 菊の日のまだ膝だしてあそびゐる

                           田中裕明

日重陽(菊の節句)。3月3日の桃の節句や5月5日の端午の節句、7月7日の七夕などの他の五節句に比べるとかなり地味な扱いではあるが、実は「陽数の極である九が重なることから五節句のなかで最もめでたい日」であり、丘に登って菊花酒を酌み交わし長寿を祈るという、きわめて大人向けの節句である。旧暦では十月初旬となり、本来の酒宴はすっかり秋も定着している景色のなかで行うものだが、はっきり秋とわかる風を感じるようになったここ数日、落ち着いて来し方行やく末につれづれなる思いを馳せていることに気づく。掲句では、むき出しの膝が若さを象徴している。四十半ばで早世した作者に、雄大な自然を前に無念の心を詠んだ杜甫の七言律詩「登高」の一節「百年多病(ひゃくねんたびょう)独登台(ひとりだいにのぼる)」が重なる。眼前の健やかな膝小僧が持つ途方もない未来を眩しく眺める視線に、菊の日の秋風が底知れぬ孤独を手招いているように思えるのだ。『田中裕明全句集』(2007)所収。(土肥あき子)


September 1692008

 月夜茸そだつ赤子の眠る間に

                           仙田洋子

夜茸は内側の襞の部分に発光物質を含有し、夜になると青白く光るためその名が付いたという。一見椎茸にも似ているが、猛毒である。ものごとにはかならず科学的根拠があると信じているが、動き回る必要のない茸がなぜ光るのかはどうしても納得できない。元来健やかな時間であるはずの「赤子の眠る間」のひと言にただならぬ気配を感じさせるのも、月夜茸の名が呼び寄せる胸騒ぎが、童話や昔話を引き寄せているからだろう。ふにゃふにゃの赤ん坊の眠りを盗んで、茸は育ち、光り続けるのだと思わせてしまう強い力が作用する。不思議は月夜によく似合う。あちこち探して、月夜茸の写真を見つけたが、保存期限が過ぎているため元記事が削除されてしまっていた。紹介するのがためらわれるほど不気味ではあるが、ご興味のある向きはこちらで写真付き全文をご覧いただける。タイトルは「ブナの林に幻想的な光」。幻想的というよりどちらかというと「恐怖SF茸」という感じ。〈水澄むや盛りを過ぎし骨の音〉〈鍋釜のみんな仰向け秋日和〉『子の翼』(2008)所収。(土肥あき子)


September 2392008

 山裏に大鬼遊ぶ稲光

                           小島 健

年ほど雷が鳴り響く夏はなかったように思う。雷鳴は叱られているようでおそろしいが、夜空に落書きのように走る稲妻を眺めるのは嫌いではない。学生時代アルバイトからの帰り道、派手な稲妻が空を覆ったかと思った途端、街中が停電したことがあった。漆黒の闇のなか、眼を閉じても開いても、今しがた刻印されたの稲光りの残像だけがあらわれた。あれから私の雷好きは始まったように思う。掲句は、鬼がすべったり転んだりする拍子に稲光が起きているのだという。この愉快な見立ては、まるで大津絵と鳥獣戯画が一緒になったような賑やかさである。また、雷に稲妻、稲光と「稲」の文字が使用されているのは、稲の結実の時期に雷が多いことから、雷が稲を実らせると信じられていたことによる古代信仰からきているという。文字の由来を踏まえると、むくつけき大鬼がまるで気のいい仲人さんのごとく、天と地を取り持っているように見えてきて、ますます滑稽味を加えるのである。〈はじめよりふぐりは軽し秋の風〉〈秋雨や人を悼むに筆の文〉『蛍光』(2008)所収。(土肥あき子)


September 3092008

 人間は水のかたまり曼珠沙華

                           松尾隆信

体の化学成分比率は水分が60%、組織が40%であるという。新生児には80%だったという水分量を聞くと、大人になったことで失ってしまったさまざまな潤いが数字に表れているようにも思う。それでもやはり、人間の半分以上は水なのだ。考えたり、悩んだり、いらついたり、右往左往する水のかたまりを、作者はわずかに苦笑しつつ、愛おしく感じているのだと思う。そして曼珠沙華も人臭い花である。法華経に「摩訶曼珠沙華」として登場し、サンスクリット語で 「マカ」は「大きい」、「マンジュシャカ」は「赤い」を意味するありがたい花のはずなのだが、有毒であったり、鮮紅色が災いしたりで「死人花」「捨て子花」「幽霊花」など因果を強く感じさせる別名を持つ。さらに枝葉を許さぬ花の形が、だんだん人間の姿となって、かたまり咲く曼珠沙華が冠を載せた人の群れのように見えてくる。〈渚より先へは行けず赤とんぼ〉〈鯛焼の五匹と街を行きにけり〉『松の花』(2008)所収。(土肥あき子)


October 07102008

 水澄むや水のやうなるビルの壁

                           長嶺千晶

句でまず思い浮かべたのは、表参道に並ぶハナエモリビル。立体的な外壁のガラスに街路樹や空が映る様子に「ああ、東京ってすごい」と、素直に見とれたものだった。丹下健三氏の設計によるこのビルは、映り込みを徹底的に意識して作られたものなので、ことに美しく感じたのだが、それにしても最近の高層ビルは全面がのっぺりと鏡のようになっているものが多い。高層化に伴い空が映ったり、雲が映ったりで美しいかといえば、接近しすぎの隣のビルを映しているだけだったりする。それでもビルに映し出される風景は、どこか虚像めいていて、不思議な感触を覚える。掲句も、無機質なビルの壁を見上げているが、それを「水のやう」とまことに美しく捉えている。都会の風景を瑞々しく表現するのは容易でない。しかも「水澄む」という自然界の季語を扱うことで、現代の都会にも季節が流れ、生活が存在することを実感させている。現代社会に顔をしかめるのではなく、この町のなかで、機嫌良く生きていこうとする作者の姿勢に強く共感する。〈百年の秋風を呼ぶ大樹かな〉〈良夜かな人すれ違ひすれ違ひ〉『つめた貝』(2008)所収。(土肥あき子)


October 14102008

 さはやかに湯をはなれたるけむりかな

                           安藤恭子

日に引き続き「爽やか」句。人が何をもって爽やかさを実感するかは、まことにそれぞれと思う。掲句は一見、「熱湯」と「爽やか」とはまるで別種なものであるように感じるが、熱された水のなかで生まれた湯気がごぼりと水面へと押し出され、そして「けむり」として空中へと放たれる。立ち上る煙が秋の空気に紛れ、徐々に薄れ溶け込んでいく様子は、心地よく爽快な気分をもって頭に描かれる。「煙」も「けむり」と平仮名で書かれるだけで、水から生まれた透明感を感じさせている。また、水が蒸発して雲になり、雲が雨を降らせ、また地に戻り、という健やかに巡る水の旅の一コマであることにも気づかされる。俳句は語数が限られているだけに、たびたび立ち止まって考えてみることが必要な、ある意味では不親切な文芸である。しかし、そこに含まれている内容が意外であるほど、理解し、共感しえたときの喜びは大きい。一方句集のなかには〈烏賊洗ふからだの中に手を入れて〉という作品も。こちらは掲出の頭に描かれる景色とはまったく逆の、内蔵を引き抜かれ、ぐったりとしたイカの生々しくもあやしい感触を手渡しされた一句であった。〈小揺るぎもせぬマフラーの上の顔〉『朝饗』(2008)所収。(土肥あき子)


October 21102008

 動物は一人で住んで蓼の花

                           川島 葵

(たで)科の花は、「水引(みずひき)」「溝蕎麦(みぞそば)」「継子の尻拭い(ままこのしりぬぐい)」など、どれも野道で見かけるつつましい花である。その野の花の奥に住む生きものの姿を思い浮かべる。大多数の動物は母親だけで子育てをする。そこに父親と名乗るものが登場しても、彼はあたたかく出迎えられるどころか、侵入者として威嚇されることだろう。さらに親子であっても子離れの早さや、その後の徹底した縄張り争いなどを思うと、動物たちの「一人で住んで」の厳しさを思う。一匹でも一頭でもなく「一人」と書かれることに違和感を覚えるむきもあるだろうが、作者はより人間に引きつけて思いを強くしているのだろう。さらに谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』が、人間の混迷する関係を描く小説だったことを思うと、掲句の「動物」にもうひとつの側面が見えてくる。〈秋澄むや子供が靴を脱ぎたがり〉〈我々の傾いてゐる葦の花〉『草に花』(2008)所収。(土肥あき子)


October 28102008

 歩きまはればたましひ揺らぐ紅葉山

                           本郷をさむ

ろそろ都心の街路樹も色づき始めた。淡い色彩で満開になる桜と違い、鮮やかな赤や黄色が満載の紅葉を視界いっぱいに映していると、くらくらとめまいがするような心地になる。それは、単純に色だけの問題ではなく、もしかしたら科学的に身体や視覚に作用するなにかがあるのかもしれないと調べてみたら、紅葉の仕組みはまだ解明されていない点が多いらしい。花見や月見と違って、紅葉を見物することは紅葉狩、「見る」ではなく「狩る」なのである。秋の山の奥へ奥へと進み、紅葉する木々を眺めることは、花や月を愛でつつ飲食を伴う遊山とは違う、きりりと張り詰めた緊張感があるように思う。透き通った空気のなかで原色の世界に身を置く不安が「足を止めてはいけない」と、心を揺さぶるのだろうか。ところで、書名となっている「物語山」とは、群馬県下仁田町にある実在の山だという。名の由来には諸説あるらしいが、この風変わりな名を持つ山では、きっと魂を閉じ込めておくのが難しいほどの美しい紅葉を見せてくれるのではないかと思うのだった。〈物語山返信のやうに朴落葉〉〈コンビニを曲りて虫の村に入る〉『物語山』(2008)所収。(土肥あき子)


November 04112008

 十一月自分の臍は上から見る

                           小川軽舟

には「へそまがり」「臍(ほぞ)を噛む」など、身体の中心にあることから派生したたくさんの慣用句がある。そして、掲句の通り、確かに自分の臍は、鏡に映さない限り、普段真上から見下ろすものだ。身体の真ん中にある大切な部位に対して「上から見る」の視線が、掲句にとぼけた風合いを生んでいる。自分の身体を見ることを意識すると、足裏のつちふまずはひっくり返してしか見ることはできないし、お尻は身体をひねってやっぱり上からしか見ていない。つむじやうなじなど、自分のものであるはずなのに、どうしたって直接見ることのかなわない場所もある。十一月に入ると、今年もあとたった二ヵ月という焦燥感にとらわれる。年末というにはまだ早いが、今年のほとんどはもう過ぎていった。上から眺める臍の存在が、十一月が持つとらえどころのない不安に重なり、一層ひしゃげて見えるのだった。〈夜に眠る人間正し柊挿す〉〈偶数は必ず割れて春かもめ〉『手帖』(2008)所収。(土肥あき子)


November 11112008

 胎児いま魚の時代冬の月

                           山田真砂年

児は十ヵ月を過ごす母胎のなかで、最初は魚類を思わせる顔から、両生類、爬虫類を経て、徐々に人間らしい面差しを持つようになるという。これは系統発生を繰り返すという生物学の仮説によるものであり、掲句の「魚の時代」とはまさに生命の初期段階を指す。母なる人の身体にも、まだそう大きな変化はなく、ただ漠然と人間が人間を、それも水中に浮かぶ小さな人間を含んでいる、という不思議な思いを持って眺めているのだろう。おそらくまだ愛情とは別の冷静な視線である。立冬を迎えると、月は一気に冷たく締まった輪郭を持つようになる。秋とははっきりと違う空気が、この釈然としない胎児への思いとともに、これから変化するあらゆるものへの覚悟にも重ってくる。無条件に愛情を持って接する母性とはまったく違う父性の感情を、ここに見ることができる。〈秋闌けて人間丸くなるほかなし〉〈虎落笛あとかたもなきナフタリン〉『海鞘食うて』(2008)所収。(土肥あき子)


November 18112008

 ミッキーの風船まるい耳ふたつ

                           今井千鶴子

日ミッキーマウス80歳の誕生日。ミッキーマウス俳句を探したため、季節外れはご容赦ください。ディズニーランドで販売しているキャラクターの形の風船は、うっかり勢いで買ってしまって、帰りの電車で後悔するもののひとつである。園内を一歩出れば、徐々に日常を取り戻すのと比例するように、手にした風船にも微妙な違和感を覚え始める。かぶりモノなどと違って鞄にしまうこともできず、「夢の国」のなかのものを連れ出してはいけない、という教訓めいた気分にさせられる。他に〈年玉の袋のミッキーマウスかな 嶺治雄〉もあり、すっかり日本に定着している傘寿のミッキー翁であるが、手元にある『別冊太陽子どもの昭和史(昭和十年〜二十年)』を見ると、昭和9年から11年にかけてミッキーマウスそっくりの赤い半ズボンを履いたミッキーラッシュがあったようだ。アメリカ直輸入のミッキーマウスもすでに天然色のトーキー映画で登場し、各地で子どもたちが映画館へ押しかけていたというが、彼らが大事に繰り返し読んでいた漫画の世界では、著作権から離れた和製ミッキーがミニー嬢ともりそば食べたり、日本刀振り回して山犬退治をしたりしていたのだ。昨年中国のニセモノキャラクタ−がニュースになっていたが、どちらのミッキーもなんだかとっても生き生きして見え、愛すべきキャラクターのアジアでの生い立ちを垣間見た思いがしたのだった。『過ぎゆく』(2008)所収。(土肥あき子)


November 25112008

 枇杷咲くや針山に針ひしめける

                           大野朱香

語は枇杷の花。今頃が盛りといえば盛りの花だが、夕焼け色の美しい果実に引きかえ、人間に愛でられる可能性を完全に否定しているような花群は、本当にこれがあの枇杷になるのか、と悲しくなるほど地味な姿だ。一方、針山に針が刺されていることに別段不思議はないのだが、先の尖った針がびっしりと刺さっている様子もなにかと心を騒がせる。これらのふたつは「ひしめける」ことによって、まったく違う質感であるにも関わらず、お互いに触れ合っている。群れ咲く枇杷の花は決して奥ゆかしくもなく陰気で、どちらかというと貪欲な生命力さえも感じられる。針山という文字から地獄を連想される掲句によって、それは地獄に生える木なのだと言われれば、なんとなく似合う風情もあるように思えてしまう。と、ここまで書いて、これでは枇杷の木に対してあんまりな誹謗をしているようだが、そのじつ枇杷の実は大好物である。果実が好ましいあまり、花も美しくあって欲しかったという詮無い気持ちが本日の鑑賞の目を曇らせている。〈ダッフルコートダックスフンドを連れ歩き〉〈年の湯や両の乳房のそつぽむき〉『一雫』(2008)所収。(土肥あき子)


December 02122008

 ひよめきや雪生のままのけものみち

                           恩田侑布子

句は「生」に「き」のルビ。上五の「ひよめき」とは見慣れぬ言葉だが、「顋門」と表記し、広辞苑によると「幼児の頭蓋骨がまだ完全に縫合し終らない時、脈拍につれて動いて見える前頭および後頭の一部」とある。身体の一部とはいえ、「思」という漢字が使われていることや、大人になれば消滅してしまうものでもあり、幼児期だけに見られる、思考が開閉する場所のように思えるのだ。掲句では、雪野原のなかで踏み固められた一筋のけものみちに、ひよめきをそっと沿わせた。乱暴に続く雪の窪みが幼児の骨の形態を連想させるだけでなく、ただ食べるために雪原を往復するけものの呼吸が、熱く伝わるような、ひよめきである。〈刃凍ててやはらかき首集まり来〉〈ひらがなの地獄草紙を花の昼〉『空塵秘抄』(2008)所収。(土肥あき子)


December 09122008

 勇魚くる土佐湾晴れてきたりけり

                           濱田順子

魚(いさな)とは鯨の古称。土佐湾といえば「♪おらんくの池にゃ、潮吹くさかなが泳ぎより(よさこい節)」と歌われるように鯨はとても親しい存在。11月頃、子を生むためにオホーツク海から日本海を通って南下し、3月頃子鯨とともに北上すると思われていた鯨だが、最近の調査では一生を土佐湾で過ごす個体もあるらしい。昔から「一頭捕えれば七郷の賑わい」と言われていたように鯨捕りはもちろん、鯨が回遊する鰹や鰯の大群を追っているため、鯨は鰯や鰹の大漁のシンボルとして漁師にも喜ばれていたという。その白波を立てた大きな姿を認めたときの歓喜は、時間を超えて引き続き現在も身体に組み込まれているように思う。掲句の下五「晴れてきたりけり」では、この湾を風土に持つ作者の誇らしさが海原を晴々と照らしているようだ。今年の春、「そりゃもうしょっちゅう見えちゅう」と聞いていた桂浜に行く機会を得て、鯨との出会いを楽しみにしていたが、残念ながら叶わなかった。勇ましい魚が語源という勇魚の悠々と泳ぐ姿をいつか見てみたい。〈夜噺に投網しつらふ音のして〉〈一駅は白でうづもり遍路笠〉『若菜籠』(2008)所収。(土肥あき子)


December 16122008

 いつ見ても駆けてるこども冬休み

                           前田倫子

よいよ12月も半ば。大人の年末への気の焦りや荷の重さなどとは一切関係なしに、クリスマスやお年玉などお楽しみ満載の冬休みを前に胸をおどらせている子どもたちを心からうらやましく思うこの頃である。ひたすら走ったり、ジャンプしたり、ぐるぐる回ったりして費やされる子どもの無尽蔵のパワーは一体どこから湧いてくるのだろう。2008年の流行語に「アラフォー(アラウンドフォーティー=40歳前後)」があった。従来女性の年齢に対しての微妙な言い回しは、24歳までの商品価値を「クリスマスケーキ」、31歳の未婚を「大晦日」など、すべて上限を使用することで、孤立した崖っぷち感を強調していたが、今回のアラウンドには上下もろともに含んでいるという曖昧さにより、俄然現代風の語感を与えた。30代後半から40代前半まで約10年という大きな幅は、過ぎていく日々が年々加速されていくのを直視することなく、当分同じ時間が繰り返されるように思わせる心地よさも備えている。子どものいつまでも駆けることのできるエネルギーを、擬似的に体験させているような言葉である。〈教室に三十匹の雪兎〉〈山茶花や無口の人とゐて無口〉『翡翠』(2008)所収。(土肥あき子)


December 23122008

 許されてゐる昼酒の大くさめ

                           榎本好宏

原庄助氏を引き合いに出すまでもなく、お日さまの高いうちから飲酒するというのは好ましくないという日本の良俗がある。くしゃみやげっぷも生理的現象とはいえ、人前ですることは恥ずかしいという西洋風のお行儀がすっかり浸透したようだ。そういえば、萎んだ芙蓉みたいなくしゃみばかりになり、打上げ花火のような豪快なくしゃみを聞くことも稀になった。さらに、セクハラ、パワハラ、モラハラとハラスメントが声高に言われるなか、ずいぶん堅苦しいお約束が増えたが、それによってより健全で快適な社会になったのかは心もとない。昼酒も大くさめも、どちらも禁忌を破るゆえに成り立つ快感がある。昼酒飲みながら、遠慮がちにくしゃみなんかしなさんな、というたっぷりした空気のなかの掲句である。さらに『食いしん坊歳時記』(角川学芸ブックス )の著者でもある作者のこと、さぞかしおいしい匂いが並んでいることだろう。垂涎(あ、これもお行儀委員会に叱られそうな言葉ですね)の昼酒である。〈煤逃げをしてはみたもの出たものの〉〈梟にリラの匂ひを聴きにゆく〉『祭詩』(2008)所収。(土肥あき子)


December 30122008

 さしあたり箱へ戻しぬ新巻鮭

                           池田澄子

日、実家の母と「蜜柑とレンコンを送る」「いらない」でひと悶着があった。結局「蜜柑はいるけどレンコンはいらない」で折り合いが付いたが、だいたい実家からの荷物は問答無用で唐突に送られてくる。もらう側としては文句を言っては申し訳ない、と思いつつ、その頭数を想定していない量に途方に暮れることも多い。掲句の新巻鮭も、あらかじめ承知している届け物では決してないはずだ。サザエさんの時代には、お歳暮の花形として堂々と迎えられていたようだが、今やあまり目にすることのないしろものである。大きな箱を前にして、途方に暮れたまま荷を開き、あたらめてその巨大な全身をしかと目にしたのちの行為は、呆然と「とりあえず見なかったことにする」現実逃避派と、腕まくりして「利用法、収納法などあれこれ考える」実直派とが大きく分かれることだろう。前者ももちろん、一瞬ののち「どうせなんとかしなくちゃいけないのに」と思い直すのだが、掲句の「さしあたり」がまことに浮遊する虚脱感を言い当てているのだと、現実逃避派であるわたしは深く共感するのである。『たましいの話』(2005)所収。(土肥あき子)




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