O謔「句

July 0372008

 札幌の放送局や羽蟻の夜

                           星野立子

幌の放送局に羽蟻がいる。ふと目に留めたただそれだけのことが俳句になる秘密ってどこにあるのだろう。さりげなく何の仕掛けもないこうした俳句を見るたび不思議になる。作者が立子だから、という名前の効果もあるだろうけど、のびやかで風通しの良い句の持ち味はこの作者独自のものだ。むかし羽蟻が出ると家が崩れる、と聞き恐ろしくなった。たかだか蟻のくせに家を傾かすとは。家で見かけるのと同じ小さな羽蟻が遠く離れた札幌にいること、おまけにそこが近代的な機械を完備した冷え冷えとした放送局であるそのミスマッチがなんとも言えずおかしい。普段とは違う場所にいてもささやかな気づきをすらりと俳句に詠める力の抜きかげんはうらやましい限りである。新しいものを柔軟に受け入れる精神をモダンというなら、立子はいきいきと時代の素材を生かした句を作っていたように思う。『季寄せ』(1940・三省堂)所載。(三宅やよい)


July 1072008

 青芒川風川にしたがはず

                           上田五千石

の句を読んだときいっぺんに目の前がひらける感じがした。山登りでちょっとした岩場に出て今まで林に閉ざされていた景色がパノラマで広がる、そんなすがすがしさと似ている。自然を描写した句は多いけど、すかっと気分がよくなる吟行句は案外少ない。川そばの青芒が強い川風にいっせいになびいている。その風向きと川が流れてゆく方向が違う。と、字面だけを追ってゆくと理屈だけになってしまうこの句のどこに引かれるのだろう。川の流れが一望できる高台で、視覚だけでなく頬を打つ風の感触で作者は眺望を捉えているのだ。夏の日にきらめく川の流れる方向に心を乗せて、かつ青芒をなびかせる風を同時に感じた時ひらめいた言葉が作者の身体を走ってゆく。リズムのよいこの句のすがすがしさは、広がる景の空気感を言葉で捉えなおした作者の心の弾みがそのままこちらに伝わってくるからだろう。その時、その場でしか得られない発見の喜びが景の描写に輝きと力を加えているように思う。『遊山』(1994)所収。(三宅やよい)


July 1772008

 炎天より入り来し蝶のしづまらず

                           松村禎三

戸さえろくになかった昔、暑くなってくれば縁側のガラス戸を全開にして庭からの風を招き入れた。くらっとくる炎天の明るさに比べ、軒深く電気をつけない家の座敷は暗かった。白昼の家はひっそりと物音もせず、箪笥の向こう側や廊下の陰に誰かが潜んでいそうで、一人で留守番するのが怖かった。掲句の情景には覚えがある。蝶だけではない、スズメやカナブンなど、いろんな生き物が家の中に入ってきた。今まで自分が自由に振舞っていた世界とは明らかに異質の空間に迷い込んだことに、驚いているのは迷い込んだ生き物自身だろうが、いたずらに騒いで見当違いな場所へ身体と打ちつけるばかりで、なかなか外へ出ることが出来ない。暗い部屋に飛びこんできた蝶の動きを目で追っている作者。結核にかかり音楽家としての将来を一時断念するかたちで若くして療養所に入らなければならなかった彼は、音楽の師池内友次郎の導きで俳句をはじめた。希望にあふれた人生から一転、病臥療養の生活へ追い込まれた自身の焦燥感を行き場を失った蝶に重ねているのか、いつまでも静まらない蝶の羽ばたきを凝視している作者の視線を感じる。『松村禎三句集』(1977)所収。(三宅やよい)


July 2472008

 ペコちゃんが友達だったころの夏

                           鈴木みのり

月も下旬になると街角に子供の姿が増え、長い夏休みを退屈に過ごしていた小学校の頃を思い出す。避暑や旅行へ連れて行ってもらえるわけもなく、読み飽きた本を何度も読み返すか、市民プールへ出かける以外時間のつぶしようのない毎日だった。テレビはあったが、寝っころがって好きな番組を見る贅沢が許されるはずもなく、一週間に一度見る「ポパイ」や「鉄腕アトム」を楽しみにしていた時代だ。特別な番組のコマーシャルはそれぞれ印象が深い。「鉄腕アトム」はマーブルチョコとシール。「ポパイ」はペコちゃん人形とパフェを食べる女の子が憧れの的だった。首振りペコちゃんの店で買ってきたケーキは五人兄妹が見つめる前で厳密に切り分けられ上から順に配られたものだった。その当時、お菓子屋かおもちゃ屋を店ごと買い占めるのが夢だった私もおとなになると、すっかりそうしたものに興味がなくなってしまった。ペコちゃんが友達だったころの夏。それは私にとっても懐かしい時だけど、二度と帰れない場所でもある。『ブラックホール』(2008)所収。(三宅やよい)


July 3172008

 ほらごらん猛暑日なんか作るから

                           中原幸子

れにしても暑い。おおせの通り、言葉が現実を作り出すのでしょうか。「夏日」「真夏日」に加えて「猛暑日」が作られたのが去年。そんな看板に合わせてどんどん気温がうなぎのぼりになっているのかもしれない。「酷暑」「極暑」なんて季語も、いかにも暑そうだけど「猛暑」となると一枚上手、暑さがうなり声をあげて息巻いていいそうである。いまや30度の「真夏日」なんてまだ涼しい、と思ってしまう自分がこわい。冷房の効いたビルから一歩外へ踏み出せば、灼熱の日差し、アスファルトの照り返しに頭がかすんで息も詰まるばかり。そんなとき、この句がぐるぐる頭を回りだす。「ほらごらん」とは、「猛暑日」を作ったお役人とともに作者も含め快適さを享受しながら暑さにおたおたする私達へも向けられているのだろう。今までの最高気温は去年熊谷で記録された40.9度ということだったけど、今年はどうなのだろう。みなさま熱中症にはくれぐれもお気をつけください。「船団」75号(200712/1発行)所載。(三宅やよい)


August 0782008

 膝に乗る黒猫の愚図夜の秋

                           坪内稔典

になると昼の暑さが遠のき一足先に秋が到着したように涼やかな夜風が吹き抜けてゆく。今日から暦のうえでは「秋」に移行するわけだけど、とりわけこの頃の季感にこの季語が似つかわしく思われる。日中は毛だらけの猫がそばに寄ってくるだけでも疎ましいが、そよそよと吹く風に汗もひき、ふと膝に寂しさを覚えるとき、座り込んでくる猫の重みもうれしい。俊敏な動きの猫の名が「愚図」というのも面白いが、「黒」と「愚」の字の並びにたっぷりとした夜の闇が猫に化身したごとき不思議が感じられる。出だしの「膝」と結語「秋」のイ音がくぐもった音を連続させた全体の調子を引き締めている。「ほかのあらゆる類似の言葉を拒んでその特別に選ばれた言葉どおりくりかえし口誦されることを望んでいる」とは高柳重信の言葉だが、リズミカルな口誦性とイメージの豊かさはこの作者のどの句にも共通する特色だろう。『京の季語・夏』(1998・光村推古書院)所載。(三宅やよい)


August 1482008

 戦死せり三十二枚の歯をそろへ

                           藤木清子

は学徒出陣で海軍に配属され、鹿児島県の志布志湾に秘密裡に作られた航空基地で敗戦の日を迎えた。同年齢の義父は、広島の爆心地で被爆した後郷里に戻り静養していた。九死に一生を得た二人とも戦争についてほとんど語らなかったが、戦死した同世代の青年達をいつも心の片隅において生涯を過ごしたように思う。祖国の土を踏むことなく異国の地で果てた若者たちはどれほど無念だったろう。私が小さい頃、街には戦争の傷痕がいたるところに残っていた。向かいの病院は迷彩色を施したままであったし、空襲の瓦礫が山積みになった野原もあった。戦後63年を経過し、戦争の記憶は薄れつつある。三十二枚の健康な歯をそろえながら飢えにさいなまれ、南の島や大陸で戦死した青年達の口惜しさは同時代を生きたものにしかわからないかもしれない。そうした人々への愛惜の気持ちがこの句を清子に書かせたのだろう。事実だけを述べたように思える言葉の並びではあるが、「そろへ」と中止法で打ち切られたあとに、戦死したものたちの無言の声を響かせているように思う。『現代俳句』上(2001)所載。(三宅やよい)


August 2182008

 西日から肉体的なスポーツカー

                           山崎十死生

しく照りつける西日のなかから飛び出したようにスポーツカーがぐんぐんこちらに近づいてくる。「肉体的な」という意表をついた形容に、ひたすら速く走ることを目的にした車とたくましいランナーの姿が重なる。その言葉の働きが通常は暑苦しく嫌な「西日」をエネルギッシュな躍動感あふれるイメージに仕立て直している。同じ角度からの視線は類型的な句しか生み出さないが、異質な言葉のぶつかりが季語の違った側面を引き出してくる。季語も時代にあったニュアンスを付け加え、更新されてゆくものだろう。アメリカングラフティ以来、スポーツカーは1960年代に青春を過ごした若者の憧れだった。若い頃は生活に追われて車どころじゃなかった人が、定年後真っ赤なフェアレディZを購入しニコニコ顔で運転席に乗っている写真を新聞で見たことがある。今の若者たちはそれほどカッコいい車に魅力を感じているように思えない。もはや彼らにとって「スポーツカー」は時代がかった言葉かもしれない。(作者は2001年、十死生を十生へ改号した。)『俳句の現在2』(1983)所載。(三宅やよい)


August 2882008

 行く夏を鶏の匂いの父といる

                           南村健治

っと昔、近所の人に連れられて山深い田舎に遊びに行った。楽しく過ごしたのだけど、夜の暗さと家の内外に濃く漂っている匂いにはどうしても慣れることができなかった。おとなになって園芸用の鶏糞の匂いをかいだとき、むかし寝泊りした農家の記憶がよみがえってきた。あの家に漂っていた匂いは土間のすぐ脇にあった鶏小屋の匂いだったのだろう。朝になるとおじさんが木の柄杓のようなもので、まだぬくい卵をとってきて掌にのせてくれた。闘鶏用の鶏も育てていて、一回負けた鶏は使い物にならないので潰して食べると言っていた。卵を採り、鶏糞を畑に撒き、いらない鶏を潰して食べるのはその家の主人にとってごくありふれたことだったのだろう。「鶏の匂いの父」はそんなふうに鶏とともに生活してきた人の匂い。作者とともに晩夏の時間を過ごしている父は回想の父なのか、現在の父なのか。どちらにしても夏が過ぎれば鶏の匂いのする父は残り、匂わない息子は別の場所へと帰ってゆく。そうだとしても、一緒にいる今はとりたてて話すこともなく二人ぼやっとテレビなんぞを見ているのかもしれない。『大頭』(2002)所収。(三宅やよい)


September 0492008

 一の馬二の馬三の秋の風

                           佐々木六戈

近復刻された岩波写真文庫『馬』の冒頭に「馬といえば競馬と思うほどに、都会人の常識は偏ってしまった。しかし、文化程度の低い日本では馬こそは未だに重要な生活の足である」と記述がある。収められた写真を見ればこの本が編集された1951年当時、農耕馬や荷車を引く輓馬(ばんば)が生活の中にいたことがわかる。といってもこれより数年遅く生まれた私には身近に働く馬の記憶はなく、馬と言えばこの記述にあるとおり競走馬なのだ。次々とやってくる馬はたとえば調教師にひかれてパドックを回る馬、レース前にスタート地点へ放たれる返し馬、ゴールに駆け込む馬の姿が思われる。鋼のように引き締まった馬が、一の馬、二の馬とやって来て、次はと待つところへ秋風が吹きわたってゆく。三の馬が吹き抜ける風に化身したようだし、この空白がやって来ない馬の姿をかえって強く印象づける。夏の暑さに弱い馬も涼しくなるにつれ生来の力強さが蘇る。秋の重賞レースも間近、颯爽とかける馬の姿が見たくなった。『佐々木六戈集』(2003)所収。(三宅やよい)


September 1192008

 天高しみんなが呼んで人違ひ

                           内田美紗

方になると雷鳴とともに大雨が降りだす油断のならない空模様が続いていた東京もようやくからりと乾いた青空が広がり始めた。そんなふうに空気が澄みわたって見晴らしのいいある日、駅の集合場所でなかなかやってこない一人を待ちわびている。「あっちからくるはずよ。」みなで同じ方向を眺めていると、遠くからやって来る人影が。背格好といい身なりといい、あの人に違いない。おのおのが手を振り、名前を連呼する。手を挙げて合図しているのに、近付いてくる人はつれなくも知らん顔。「こっちに気づいていないのよ。」確信を持った意見になおもみな声を張りあげ、大きく手を振る。やって来る人の顔がはっきり見える距離になって、人違いだったとわかる。ああ、恥ずかしい。それでもみんなと一緒だから、バツの悪さも救われる。(間違えられた人のほうがどんな顔ですれ違っていいんだか当惑気味かもしれないが)これが一人だったらどれだけカッコ悪いことか。でも大きな声を出して人違いしたのも行楽に浮き立つ気持ちと仲間がいたからこそ。これがどんより曇った天気で、一人だったら顔を合わすまでおとなしくしていたでしょうね。『魚眼石』(2004)所収。(三宅やよい)


September 1892008

 満月の終着駅で貝を売る

                           武馬久仁裕

葉だけ追ってゆくと現実のありふれた描写のように思えるのに、俳句全体は非現実的な雰囲気を醸し出している。季の言葉としての「月」はそのさやけさが中心だが、この句は満ちた月と終着という時間性に重きが置かれている。それが季を超えた幻想的なイメージをこの句に与えているのだろう。満月に照らされている駅は出発駅にして終着駅。ここから出立した電車はすべてこの場所へ帰ってくる。そう思えば月光に浮かび上がる終着駅は『銀河鉄道の夜』や『千と千尋の神隠し』にあるようにこの世と違う次元にある駅のようだ。それならば貝を売っている場所はつげ義春の漫画にあるような鄙びた海沿いのモノトーンの景色が似合いだ。無人駅の裏にある小さな露店に暗い裸電球をぶらさげ顔も定かでない人が貝を売っている。売られている貝は粒の小さい浅利、真っ黒なカラス貝?それともこの世から消えた幻の貝?満月の下に売られている貝を想像してみるのも一興だろう。『貘の来る道』(1999)所収。(三宅やよい)


September 2592008

 曼珠沙華思へば船の出る所

                           摂津幸彦

年の今ごろ埼玉の高麗へ曼珠沙華の群生を見に出かけた。鬱蒼と茂る緑の樹下のどこまでも真っ赤な曼珠沙華が広がり広がり続くので不安になった。「曼珠沙華叫びつつ咲く夕焼けの中に駆け入るひづめ持つわれは」(小守有里)という歌のままに、この不思議な花を見つめている自分が内側から歪んでゆくような妙な気分だった。地面からするすると緑の軸が伸びてきて花を開くのが彼岸どきというのも出来すぎている。摂津の句は夢のようなつじつまのあわなさが魅力であるが、この句の場合は「曼珠沙華」と「船」が現実と非現実を結ぶ紐帯となって読み手を不思議な世界へ誘う。ゆく船を見送る寂しい気持ち。その気分は「曼珠沙華」が呼び起こすあの世への旅立ちとも繋がっている。「思へば」という動詞が現実の曼珠沙華から船着場の映像をだぶらせる効果的な言葉として働いている。摂津の句を読んでいると実人生と言葉の二重性を生きた人のせつなさが感じられてしんとした気持ちになる。『摂津幸彦全集』(1997)所収。(三宅やよい)


October 02102008

 椎茸の見給うは我が和服かな

                           永田耕衣

思議な句だ。この椎茸はどこにある椎茸なのだろう。人工栽培のために木陰に並べられた椎や楢のほだ木のあちこちにむくむく生え出た椎茸なのか、それともお膳の上に甘辛く煮付けて出された椎茸なのか。丸太の椎茸なら和服を正面に見ているのかもしれないし、皿の中の椎茸なら見上げる視線なのかもしれない。どちらにしてもこの句の中心は椎茸と和服の関係で、椎茸が見ているのが和服を着た自分でなく、和服そのものという発想が面白い。しかもこれと対になって並んでいる句が、「椎茸を見給うは我が和服かな」と、助詞一字を変えるだけで主体と対象との関係を一瞬にして裏返しているのだから、更におかしさが増幅される。椎茸と和服の出会いをこんな風に俳句で創造できる自在な感性が素敵だ。そういえば耕衣翁はなまずが好きでよく句にしているが、椎茸のつるん、ぬめっとした感触はなまずの頭に似てはいないか。『永田耕衣句集』(2002)所収。(三宅やよい)


October 09102008

 弁当は食べてしまつた秋の空

                           麻里伊

動会、ピクニック、山登り。行楽に気持ちのよい季節になった。芝生の上に色とりどりのビニールシートを広げて、それぞれの家族が食事を楽しんでいる。コンビ二やデパートの弁当を買ってきて外で食べるだけでも気分が変わっていいものだけど、弁当の王者はなんと言っても三段重ねの重箱だろう。各地を転勤して回ったなかで一番弁当が豪華だったのは鹿児島の運動会だった。ご近所が誘い合って座る大判のビニールシートの真ん中にいくつも重箱が並び、魔法瓶に詰めた焼酎を酌み交わしていた。このご時世アルコールは禁止になっているだろうが、あの賑わいはよかった。手の込んだ弁当をみんなで食べるのも楽しみだが、梅干をどかんとおいた日の丸弁当でも充分。一粒も残さず食べた空っぽの弁当の蓋を閉じて見上げればどこまでも広がる秋の空。「食べてしまつた」と単純な言葉であるが、楽しい行楽の半ば以上が終わってしまったさみしさと秋空の空白感が響き合っている。運動会、遠足。あんなにもお弁当が楽しみだった子供の、家族の心持ちを懐かしく思い出させる句である。『水は水へ』(2002)所収。(三宅やよい)


October 16102008

 硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ

                           大本義幸

識はなくとも篤実な人柄を感じさせる俳人がいる。この作者の俳句を読むとしみじみと懐かしさがこみあげてくる。「熱き尿放つ京浜工業地帯の夜の農奴よ」「旗を灯に変えるすべなし汗の蒲団」など時代のやるせなさを詠じた句も多いが、重苦しい現実との闘いを経ても作者の心はへし折れることはない。「朝顔にありがとうを云う朝であった。」抒情溢れる句が生み出す優しい強さに力づけられる。掲句について大井恒行は解説で「ついに風が充ちないことを知りながら、なお、充ちてよと願わざるを得ないのである。」と書き綴っている。「硝子器」とは現実に息詰まりそうになる自分自身であろうが、その内側にある精神はすがすがしい風に充たされ、解き放たれることを乞わずにはいられない。純粋なものへの憧れを抱き続ける心がこの国の情けない姿に悲嘆しつつも、「この国に死なむ」とすべてを受け入れようとしているのだろう。苦しみの底にこそ軽やかな精神が存在する。作者がたどってきた複雑な人生の色合いが俳句に織りなされた一冊だと思う。『硝子器に春の影みち』(2008)所収。(三宅やよい)


October 23102008

 省略がきいて明るい烏瓜

                           薮ノ内君代

ことに省略のきいたものは明るい輝きを持っている。俳句もしかり、さっぱりと片付けた座敷も。ところで秋になると見かける烏瓜だけど、あれはいったいどんな植物のなれの果てなのだろう。気になって調べてみると実とは似ても似つかない花の写真が出てきた。白い花弁の周りにふわふわのレースのような網がかかった美しい花。夏の薄暮に咲いて昼には散ってしまうという。「烏瓜の花は“花の骸骨”とでも云った感じのするものである。遠くから見る吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようでもある。」と寺田寅彦が『烏瓜の花と蛾』で書いている。烏瓜というと、秋になって細い蔓のあちらこちらに明るい橙色を灯しているちょうちん型の実しかしらなかったので、そんな美しい経歴があろうとは思いもよらなかった。実があるということはそこの場所に花も咲いていたろうに、語らず、誇らず枯れ色の景色の中につるんと明るい実になってぶら下がっている。省略がきいているのはその形だけではなかったのね。と烏瓜に話しかけたい気分になった。『風のなぎさ』(2007)所収。(三宅やよい)


October 30102008

 朝寒の膝に日当る電車かな

                           柴田宵曲

中にあたる昼の日差しは汗ばむようだが、朝は厚めの上着がほしいぐらい冷え込むようになってきた。おそらくは通勤の膝に当たっている日差しをぼんやりと眺めているのだろう。昔の電車だから今のように暖房が完備されているわけはなく、木の床板や車窓の隙間から入ってくる風に身体をすくめながら膝にあたるかすかなぬくみに朝の寒さを実感している。そんな情景が想像される。作者の『古句を観る』(岩波文庫)はこのコーナーでもよく紹介される本だが、何度読んでも飽きない。元禄時代の無名俳人の句を取り上げているのだが、的をはずさない句の解釈もさることながら、簡潔で味わい深い文章の魅力に引きつけられる。広い教養に裏打ちされた作者の人柄が文章に反映しているのだろう。この本はしばらく絶版だったが、多くの読者の希望で復刊されたと聞く。宵曲は一時期ホトトギスに所属、丸ビルの事務所にも通っていたが、のちには寒川鼠骨を助けて『子規全集』を編集。その交遊のうちに俳句を続けたという。『虚子編季寄せ』(三省堂・1941)所載。(三宅やよい)


November 06112008

 立冬のクロワッサンとゆでたまご

                           星野麥丘人

ロワッサン、と聞くと私などは長年親しんだ女性雑誌の名前が思い浮かぶ。ちょっと小粋なパンの名前が醸し出すおしゃれなイメージに期待して命名されたのだろう。確かにこのパンの名前にはアンパンやメロンパンとはひと味違うよそいきの雰囲気がある。掲句はもちろん三日月形のパンそのものだろうが、このクロワッサンはおいしそうだ。かさこそ音をたてる落葉道を散歩していると、店先からパンを焼く香ばしい匂いが流れてくる。思わず買ってしまったパンのぬくみを紙袋に感じつつ帰宅。濃くいれた熱いコーヒーにゆで玉子を添えて朝の食卓を囲む。そんなシーンを思い描いた。パリパリと軽いクロワッサンの感触とつるりと光るゆでたまごの取り合わせも素敵だ。一見何の技巧もなく見えるが、これだけの名詞を並べるだけで立冬の朝の気分をいきいき感じさせている。この句集には「立冬の水族館の大なまず」(「なまず」は魚偏に夷の表記)などの楽しい句もあって、気負いなく寒い冬を受け入れようとする作者の自在な心持が感じられる。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)


November 13112008

 正午すでに暮色の都浮寝鳥

                           田中裕明

京の夕暮れは早い。この地にずっと住んでいる人には違和感のあるセリフかもしれないが、鹿児島、山口、大阪、と移り住んできた身には4時を過ぎればたちまち日が落ちてしまう東のあっけない暮れ方は何ともさびしい。体感だけでなく、この時期の日の入りを調べてみると、東京は16時38分、大阪は16時57分、鹿児島は17時22分と40分以上の差がある。この都では3時を過ぎればもう日が傾きはじめる。関西に住み馴れた作者にとっても、たまに訪れる東京の日暮れの早さがとりわけさみしく思えたのかもしれない。この俳人の鋭い感受性は、太陽が天辺にある華やかな都会の真昼にはや夕暮れの気配を感じとっている。その物悲しい心持ちがおのが首をふところに差し入れ、波に漂いながら眠る水鳥に託されているようだ。すべてがはぎとられてゆく冬は自然の実相がこころにせまってくるし、自分の内側にある不安をのぞきこむ気分になる。この句を読んで、頼りなく感じていた日暮れの早さが、自分の人生の残り時間を映し出しているような、心持になってしまった。『夜の客人』(2005)所収。(三宅やよい)


November 20112008

 林檎買ひくる妻わが街を拡大せり

                           磯貝碧蹄館

は「拡大せり」の部分である。そのまま読めば林檎を買ってきた妻が自分が住んでいる街を大きくするのだろうが、いったいどんな具合なのだろう。魚眼レンズで覗いたように巨大な妻と林檎がいびつに大きく句の全面へ張り出してくるようだ。しかし、今までつまらなく見えていた街を拡大するのは「妻」だけでなく妻が抱えている「林檎」の鮮烈な色と香りなのだろう。林檎はいつだって暗い世相や街を明るくしてきた。戦後の荒廃した街には並木路子の「リンゴの唄」が流れ、うちひしがれた人々を力づけたというし、北原白秋の「君かへす朝の敷石さくさくと雪は林檎の香のごとく降れ」の短歌などは、林檎の香りを雪と結びつけたモダンな抒情を描き出している。くすんだ現実から別次元の世界へ拡大してくれるのが、赤くつやつやとした林檎の力と言えないだろうか。この句にはそんな林檎を抱えて自分の元へ帰ってきてくれた妻への賛歌とともに詠まれているように思う。『磯貝碧蹄館集』(1981)所収。(三宅やよい)


November 27112008

 言ひかへてみてもぱつちに違ひなし

                           平石和美

月だったか、この欄で阪神の選手のインタビューに出てきた「必死のパッチ」という言葉について話題になっていた。そのことについて大阪の友人と話したが、さして深い意味はなく冬下着のパッチとの語呂合わせであるまいか、という結論に落ち着いた。「ぱつち」という言葉にはパチパチたたく音がその響きに感じられて何となく威勢がいい。ロングパンツ、スパッツ「ぱつち」を現代風に言い換える言葉はいくらでもあるだろうが、股引であることに変わりはない。おじいさんのラクダの股引とブランドもののロングパンツの違いはどこにもない。句の通り気取ってみてもぱっちはぱっちなのだ。このあたり関西弁のあっけらかんとした物言いに関西出身の私などは「ほんと、そうやねぇ」と相槌を打ちたくなる。キャミソールやタンクトップで過ごしていた娘たちも「ばばシャツ貸して」と、お願いに来るこのごろの寒さ、颯爽と街をゆく若者たちがいつ頃から「ぱつち」をお召になるのか、興味は尽きない。『桜炭』(2004)所収。(三宅やよい)


December 04122008

 くちびるへ鞭のにほひの冬の雲

                           須藤 徹

二月に入り寒さも本格的になってきた。「くちびる」を意識するのは冷たい空気に唇が乾燥して荒れるこれからだろう。細く裂けてざらっと舌に触れる唇の皮、それをそっと歯先にはさんで痛いぎりぎりまで引っ張ってみる自虐的な気持ち。その気分が「鞭」という言葉で表わされているようだ。ひゅっと宙を切る鞭の鋭い音や口に感じる皮の味を「にほひ」に転化させることで鞭が実在感をもって迫ってくる。感覚に直接的に訴えかける物の匂いを「冬の雲」に繋げることで、内部へ向かいかけた読み手の気分が雲に閉ざされた空を見上げる視線へと切り替わる。言葉と言葉の連関をたどることで味覚、嗅覚、視覚と感覚が立体的に立ち上がり、冬ざれの景へと広がってゆくのだ。そのとき初めて、何気なく置かれているように見える言葉が作者によって周到に配置されたものであるのに気づかされる。こんなふうに言葉で別の世界へ誘われるたび俳句が好きになる。『さあ現代俳句へ』(1989)所載。(三宅やよい)


December 11122008

 帰るバスなくなつてをり雪女郎

                           火箱游歩

女と雪女郎とはどこが違うのか?講談社版「日本大歳時記」の説明には「雪女郎は雪女よりさらに妖怪じみて悪性であると考えられているようである。つまり雪夜に人を迷わすのは雪女郎とか雪鬼、雪坊主といわれるものの場合が多い」とある。しかし掲句の「雪女郎」はそうワルに思えない。一時間に一本あるかないかのバスを逃してしまい、この雪女郎は呆然と時刻表を見ているのだろうか。ひとり取り残されてしまった雪女郎は仕方なく吹雪をひゅーひゅー巻き起こして人を脅かしているのかもしれない。それとも反対に、この雪女郎は麓の町で遊びすぎて山へ帰るバスに乗り遅れたのかもしれない。電気に照らされて乾いた町の夜は雪女郎には辛かろう。「瀬に下りて目玉を洗ふ雪女郎」(秋元不死男)なんて雪女郎にはおどろおどろしい句が多いようだが、バスに乗り遅れた雪女郎に親しみがわくのは、彼女同様私もドジだからだろう。『雲林院町』(2005)所収。(三宅やよい)


December 18122008

 やはらかに鳩ゐて冬の屋根瓦

                           中里夏彦

き締まった空気と屋根瓦の堅さ、冷たさ。その感触は鳩がいてこそだろう。屋根にきている鳩は冬毛をぷわぷわふくらませ、霜の降りた瓦をいっそう冷たく感じさせる。むかし屋根に鳩小屋をしつらえ、朝などにいっせいに飛ばして訓練している様子があちこちで見られたものだ。メールが飛び交う現在、伝書鳩を使うこともないし競技用に飼われる鳩もめっきり少なくなったことだろう。町のあちこちで迷惑がられている土鳩の先祖は役目から解放された伝書鳩かもしれない。いったん鳩が棲みつくと屋根やベランダが糞で真っ白にされて大変だと聞く。「餌をやらないでください」といった貼り紙も目にする。冬の瓦に乗る鳩もそれを眺める人間も離れているうちはいいが、密集した都会で共に暮らすには難しくなってきている。『俳句の現在 3』(1983)所載。(三宅やよい)


December 25122008

 ペンギンと空を見ていたクリスマス

                           塩見恵介

朝枕もとのプレゼントに歓声をあげた子供たちはどのくらいいるだろう。クリスマスは言うまでもなく世界中の子供たちが夜中にこっそりやってくるサンタさんを待つ日。わくわくと見えないものを「待つ」気持ちがこの句に込められている。ヨチヨチ歩きで駆けまわるペンギンは愛嬌があって可愛いが、好奇心が極めて強い動物だそうだ。時折3,4匹かたまって微動だにせずじっとしているが、あれは何を見ているのだろう。掲句のように、「空を見ていた」と言われてみれば飛べないペンギンが空の彼方からやってくるものをじっと待っているようにも思える。柵の向こうから眺める動物園の観客の視線と違い、作者はペンギンと肩を並べて空の向こうを眺めている。待っているのはトナカイに乗ってやってくるサンタさんか、降臨するキリストか。クリスマスは期待に胸ふくらませ何かがやって来るのを待つ日。ペンギンと並んで空を見上げる構図が童話の中の1シーンのようで、今までにない新鮮なクリスマスを描き出しているように思う。『泉こぽ』(2007)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます