止まらないタイガース。誰か止めてくれーっ、と言うわけにもいかず。(哲




2008ソスN7ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0672008

 庶務部より経理部へゆく油虫

                           境野大波

ぜ油虫の行き先が経理部なのかと、真っ先に引っかかったのは、わたしが長年経理部で働いているからなのでしょう。庶務部と経理部に、作者がどれほどの思い入れをしてこの句を詠んだのかはわかりません。ただ、経理で日々苦労を重ねてきたものとしては、つい余計なことを考えてしまいます。経理というのは(庶務も同様ですが)仕事の性質上、どんなに完璧に業務をこなしても、営業のようにはなかなか評価してもらえません。と、愚痴はここまで。本題に戻ります。油虫というと、どうしても家の台所を考えがちですが、仕事場にも確かに出ることはあるわけです。廊下の端をすばやくはしり、部屋の中へ消えて行く様子が、目に見えるようです。句の意味はそれだけのことですが、これも確かに季節を感じる心情に違いはありません。こんな瑣末な思いを積み重ねて、日々は成り立っているわけです。ところで、仁平勝さんはこの句の解説に、次のように書いています。「いつも庶務部と経理部をウロウロして、女子社員に軽口をたたいているような男がいる。」つまりそのような男のことも、油虫の意味には含まれているというのです。気がつきませんでした。ともかく男たるもの、せめて職場で「あぶらむし」呼ばわりされぬように、気をつけましょう。『日本の四季 旬の一句』(2002・講談社)所載。(松下育男)


July 0572008

 紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな

                           鈴木花蓑

黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる〈大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


July 0472008

 牛冷すホース一本暴れをり

                           小川軽舟

い頃、父に牛の品評会に連れて行ってもらった記憶がある。真黒な牛ばかりだったような。磨き込んだ牛の黒は独特、てらてらとして美しく輝く。農耕用の牛は泥だらけ。農作業のあと川や海に入れて体を冷す。牛の漫画をよく書いた谷岡ヤスジは一時売れに売れて、過労死のごとく早世してしまった。「オラオラオラ」や「鼻血ブー」が流行語になり、キャラクターとしては「バター犬」と並んで煙管をふかす牛「タロ」が一世を風靡した。牛の風貌はどことなくユーモアが漂う。牛を洗っているホースが暴れている。冷されている牛の方にではなくホースに焦点が当たっているところがこの句の新味である。『近所』(2001)所収。(今井 聖)




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